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2012年6月19日火曜日

男の好きなもの 女の好きなもの

子どもたちが何気なく口にする「おとこもん」「おんなもん」という言葉。その裏側にある「ふつう」の感覚について,考えてみました。


以下 平成24年5月19日学級だより「にこにこにくみ」より★


学校ホームページにも掲載しましたが,「1年生を迎える会」でかぶってもらうための帽子を作って1年生にプレゼントしました。32個の帽子をダンボールに入れ,箱の外側に絵を描いたりしながらきれいに飾り付けているときのこと。(中間休みに教室にいた何人かの女の子が飾り付けをしてくれました。)

「男の好きなものが全然ないやん。女のばっかりやん」

そんな風に訴えているのは,できあがりつつあるプレゼントを一目見た男の子たちでした。

「男子の好きな絵とか描けへんもん。仕方ないやん」

「そんなん言うんやったら,自分たちで描けばいいやん」

休み時間に飾りつけをしていた女の子たちも,負けじと言い返します。

はじめに訴えた男の子にしてみれば,自分の好みではない絵で埋められたプレゼントに違和感を覚えたのでしょう。それをもらう側の1年生の男の子も,同じように感じるのでは…と思ったのかも知れません。
一方で,一生懸命描いた飾りつけの絵を見るなり「女の絵ばっかりや」と非難されてしまった子どもの気持ちもよくわかります。どちらも言葉が足りないのはもちろんですが,私がなるほどと思ったのは「男の好きなもの」「女の好きなもの」という言葉が子どもたちの中で共有されていることです。箱に描かれていたのは,鳥を模したキャラクターや,ハート,星などのマーク,おめでとうの文字などですが,これらを「女の好きなもの」と呼ぶことには誰も異を唱えないんですね。そこで,「男の好きなもの」「女の好きなもの」と題してクラスの子どもたちに尋ねてみました。

男の好きなもの:ワンピース,ライオン,ドラゴンボール,ドクロマーク,ボール,コーラ…

女の好きなもの:ハート,星,ゆるキャラ,ウサギ,ハムスター,フリル…

たくさん書いていくうちに,「ん?」と思う子どもたちもいたようです。気になったことを尋ねました。

「ワンピースが好きな女の子って,ヘン?」

「ハートや星のマークが好きな男の子は?」

すると「ヘンじゃないけど…少ない」との答え。ウンウンと頷く人もいました。
じゃライオンは?――男女関係ないやん。なるほど,コーラもだ。

ワンピースやドラゴンボールが好きな男の子や,ハートマークやゆるキャラの好きな女の子は確かに多いでしょう。
じゃあワンピースが好きな女の子やゆるキャラが好きな男の子は「おかしい」かというとそうではありません。それぞれに好みが違うなかで,たまたま同じ趣味の人が同性に少ないだけです。
ところが「ワンピースは男の子が好むもの」というのが当たり前のような雰囲気の中では,女の子が「ワンピースが好きなんだけど!」とは言いにくいでしょうね。私自身,小学生の頃に習い事を聞かれて「ピアノを習っている」とは言い出しにくかったのを覚えています。 

たくさんの人が「○○って普通だよね」「○○するのが当たり前だよね」と思っているすぐ近くで,「いや,私は違うんだけどな…」と肩身の狭い思いをしている人がいるかも知れない。「あいつはヘンだ」と思われるのが嫌で本心ではないものを仕方なく選んでいる人がいるかも知れない。そんなことを感じられる人であってほしいと思います。

みんなの考えている「普通」って,本当にそうだろうか。ときどき立ち止まって考えてほしい。

こんなメッセージを伝えた3時間目でした。ご意見・ご感想お待ちしています。


★補足★


何を細かいことを…と考える人もいらっしゃるでしょう。こういうことを切り出すと,「え,そんなこと聞くん?」と驚いた顔をする子どももいます。

この話題ひとつだけを取り上げれば,取るに足りないことかも知れません。
それでも,「こんなこと」の積み重ねが「それって本当に”普通”かな」と立ち止まって考えられる子どもを育てることにつながるはず…と信じてがんばっていますよ,というお話でした。



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2012年4月16日月曜日

保育園の先生の言葉

春休みに娘を連れて動物園に行ったときのことです。
生後4か月半の娘が動物園をどの程度楽しんでくれたのかわかりませんが,ふれあいコーナーのヤギに手を伸ばしている写真が撮れただけで親は満足してしまうのですね。親バカここに極まれり,です。


さてこの動物園,新学期になれば平日は遠足で来た子どもたちでいっぱいになるのでしょうが,この日は春休み中ということで,親子連れがほとんどでした。
普段は意識しませんが,こういうとき「先生」の声というのは目立つものですね。象のコーナーでこんな声が聞こえてきました。

「はーい,○○組さんはこっちですよ」

「象さんがいますね。写真を撮りましょう」

春休み中ですから,保育園の先生でしょうか。娘と象の写真を撮りながら,しばし耳を傾けていました。どうやら写真を撮るために並ぶようです。

「男の子は後ろ,女の子は前にしゃがみましょう」

そんな言葉が気になって見てみると,子どもたちは整然と男女別に並んでいます。みんな同じ制服を着ているのですが,よく見ると男の子は深緑のスカーフ,女の子はピンクのスカーフを身に付けているようです。

いい表情で写真を撮るために,先生は子どもたちに声をかけます。

「女の子,かわいい笑顔でね。そうそう。男の子,かっこいいなあ」

しばらく象を見たあとで,先生がこんな風に子どもたちを呼びました。

「男の子,こっちに並びましょう。女の子はこっちね」

トイレにでも連れて行くのかと思いきや,そのまま次の動物のところへ移動するようです。子どもたちは整然と男女別に並び,先生の後をついていきました。



「男の子」「女の子」ってこうやって「作られて」いくんだね,と皮肉交じりにつぶやくと,保育園で仕事をした経験のある妻はこう言いました。

「管理しやすいんやって」

なるほどな,と思いました。
管理というと聞こえは悪いかも知れませんが,安全管理や健康管理など,子どもを預かる者としては欠かせない仕事。大勢の子どもたちをきちんと管理するには,少人数のグループに分けるのが効率的です。とはいえ未就学の子どもたちに班やグループを理解させるのは大変なのでしょう。そこで「男女別グループ」で管理するわけです。これなら,子どもたちは自分がどのグループに属するのか,考えなくてもすぐにわかります。服装に目印となる違いをつけておけば,管理する側にとってもわかりやすくなります。

それはわかります。それはわかるんですが。

管理しやすくするために「肌の色」で子どもを分けていたら。
管理しやすくするために「居住地」で子どもを分けていたら。

きっと大問題になりますよ。

男女が全く同じとは言いませんが,管理のために必要以上に性差を際立たせることになっているとすれば,それはちょっと違うような気がします。そこから子どもたちが「学んでしまう」ことについての考慮が必要なのではないかと思うのです。

娘の写真を撮りながら,そんなことを考えていました。


現場の先生や保育士の方には,きっといろいろな思いがあることと思います。
ご意見をお持ちの方,ぜひコメントをお願いします。


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2012年1月8日日曜日

おばあちゃんの贈り物

昨年11月,我が家に娘が生まれました。
私の両親にとっては初孫です。ずっと楽しみにしていたようで,生まれたと聞くやいなや,北海道から関西まで文字通り飛んできました。

年末年始は,そんな両親のもとへ娘を連れて帰省しました。


話は少しさかのぼります。
娘が生まれてからというもの,出産祝いやおさがりの洋服をたくさんいただきました。中には段ボールいっぱいの洋服を送ってくれる知人もいて,夫婦で嬉しい悲鳴をあげていたのです。でも,ベビー服って色のバリエーションが少ないんですね。子どもが女の子ということもあって,ほとんどが淡いピンク系の洋服でした。
はじめのうちは私たち夫婦も「これ,かわいいなあ」「こっちもかわいいなあ」などと言いながら,着替えるたびに楽しんでいたのですが,どれを着ても淡いピンク。ご好意で洋服をくれた方々には非常に申し訳ないのですが,だんだん目が飽きてきてしまいました。

実家に帰省したのはそんな折。違う色のベビー服もほしいね,と話していた矢先,母が娘に何かプレゼントをしたいというので一緒にベビー用品店に行きました。
ピンク以外の洋服も…という会話を聞いていたのか,母は水色や緑色の服を意図的に選んでくれていたようです。私たちが「こんな色,あるんや」と言いながら喜ぶ姿を見ても,母は「やっぱりピンクじゃなきゃ」とは言いませんでした。
そんな母にも,ひとつだけ譲れないことがありました。それはフリフリ(笑)。正しくはフリル?何と呼ぶのかわかりませんが,レース模様のアレです。

私が三人兄弟だったこともあり,母はいつも「かわいいフリフリの服を選びたいな」と思っていたのだとか。今の私なら「本人の好みがはっきりしないうちは,何だっていいじゃない。男の子にもフリフリを着せてみたら?」などと言いそうですが,母は母なりに考えて「やっぱり男の子にフリフリの服はねえ…」と諦めてきたのだそうです。かくして母は「子どもにフリフリの服を買ってあげたい!」という30年越しの夢をこの日叶えたのでした。
しかし,ちょっと意地悪な言い方をすれば,娘は「フリフリは女の子の服」というひとつの「常識」をその身に刻み込んだとも言えます。

もちろん,この日の一件だけで娘の何かが大きく変わるわけではありません。しかし,こうした経験の積み重ねが「ピンクや花柄の好きな女の子」や「ブルーや自動車柄の好きな男の子」をつくっている,とも言えます。そんな風にして育った子どもがある日,フリフリの好きな男の子や機械いじりの好きな女の子に遭遇したとしたら…。「男(女)のくせにヘンなの!」と感じるのは,当然と言えば当然でしょう。そのまま大人になって「男のくせに○○…」とか「女のくせに○○…」と言うかもしれません。

では,母の行為はそんな性差別を助長する,悪しき行為なのでしょうか。
そうではないと思います。
私の娘にフリフリの服を買うのは,「きっと似合うだろう」という「好意」から。
私たち兄弟にフリフリの服を買わなかったのは,「ヘンなの!と言われるかもしれない」という「配慮」から。
そんな好意や配慮から出た母の行為を,「そうやって【男の子】と【女の子】がつくられるんや。性差別につながるからやめてくれ」と非難することは,私にはできません。

以前私が書いた記事は,そんな「好意や配慮から出た言葉」と「差別感情から出た言葉」は,どちらも同じだ!と安直に非難してしまった例です。反省です。


娘にフリフリの服を買ってあげたい,という母の姿を見て改めて思いました。

「男は仕事ができなくっちゃね」
「女は料理がうまくなくっちゃね」
とか
「男らしく堂々としなさい」
「女らしくおしとやかにしなさい」
という言葉も,「好意」や「配慮」から出てくる場合があるんですね。「そうしておいた方が,世の中生きやすいよ」とか「そうしておかないと,周りにヘンに思われてしまうよ」というように。

そう言われた幼い子どもは,言葉通りに「よし○○しよう」と思います。あるいは意識もせずにそうしているかもしれません。ところが,同じような経験を重ねていくことで「男は○○するもの」「女は○○するもの」という「ふつう」をも身に付けていくのです。
この「ふつう」が厄介なんですね。なぜなら,同じ「ふつう」を共有する者にとって「ふつうでない者」は,違和感や嫌悪感の対象となることがあるからです。そして,その果てにあるのがいじめや差別だと私は考えています。
だからこそ,「ふつう」は人それぞれ違う,互いの「ふつう」を認め合うことが大切だと教えることが,教師の仕事だと思うのです。人権教育だと思うのです。



これが「ふつう」なんだよ。「ふつう」にしておくと気持ちよく生きていけるよ。

あなたの「ふつう」とは違う「ふつう」をもっている人もいるんだよ。

自分とは違う「ふつう」を尊重するんだよ。

矛盾するようだけれど,どれも本当のこと。
人権教育の難しさは,こういうところにあるんだなあと思います。



真新しいフリフリの洋服を着て,ういあういあと笑う娘を見ながら私たち夫婦は
「やっぱり女の子にはフリフリなのかねえ。かわいいねえ」
と自分たちの「ふつう」を話していました。

2011年暮れ,おばあちゃんの贈り物は,娘にとっても私にとっても意味深いものになりました。






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2011年11月28日月曜日

「黒人は貧しい生活をするべきだ」

タイトルに嫌悪感を覚える人は多いでしょう。明らかに人種差別的な意見です。
ではこれはどうですか。
「男はたくましく,包容力があるべきだ」
「女は優しく,献身的であるべきだ」
タイトルとこれらの言葉。その根底にある考え方は同じではないかと私は考えています。

私の勤務する自治体には,人権月間というものがあります。それを受けて小学校でも「人権に関わる授業参観」や「人権啓発懇談会」が行われることが多いようです。この週はちょうど人権に関わる授業および懇談会が行われたこともあり,学級だよりにこんなことを書きました。


★以下 平成23年11月18日学級だより「すきやき」より★


火曜日の授業参観は,道徳の時間をご覧いただきました。子どもたちが,それぞれのもつ道徳心や正義感に照らし合わせ,自ら感じたことを一生懸命伝えようとする姿が印象的でした。

放課後の懇談会は「心豊かな子どもを育てるために」というテーマで行いました。
「心豊かな人」と簡単に言うけれど,それってどんな人だと思いますか?という問いに,色々なお話を聞かせていただきました。特に多かったのは,「ありがとう」「きれいだね」「おいしかった」「ごめんね」というように,周囲との関係の中でさりげなく相手を気遣える人,時間的にも心理的にもゆとりがある人。そんな姿に心の豊かさを感じるというご意見です。「そうは言っても,自分自身,心にゆとりがあるとは言えないんですよね」という保護者の方のお話に,一同が思わず「ウンウン!」とうなずいてしまう様子が印象的でした。

今回の懇談会では「心豊かな子ども」の姿を男女平等教育の観点からお伝えしたいと考えていました。「女性は虐げられている!女性の地位向上を!」というスローガンを教えることが男女平等教育ではないと思うからです。懇談会に参加いただいた方には,ちょっとしたアンケートに答えていただきながら私の考えをお聞きいただきました。口下手なうえに説明不足なのでうまく伝えられたか自信がありませんが,私が言いたかったことは,乱暴に言えばこういうことです。

★★
男とは……たくましい,力がある,包容力がある,涙を見せない,大胆な決断を下す,大食い
女とは……優しい,かよわい,守ってもらう,涙を武器にする,細やかな心遣いをする,少食
こういうイメージをもって,「男はこうであるべきだ」「女はこうであるべきだ」と伝えることと,

黒人とは……運動神経が高い,貧困層が多い,犯罪と関わる,肉体労働に就く,住環境が悪い
こういうイメージをもって,「黒人はこうであるべきだ」と伝えることは同じではないか。


「黒人は劣悪な環境に住むべきだ」などと言うのは間違っているのと同じように,「男は涙を見せてはいけない」とか「女は細やかな心遣いができなくてはいけない」と言うのも間違っていると思うのです。
実際に私たちが「メソメソ泣くな,男の子でしょう」とか「もう少しきちんとした字を書きなさい,女の子でしょう」というときには,「男だから涙を見せてはいけない」「女だから細やかな心遣いができなくてはいけない」というように男女を強調したいわけではありません。本当に伝えたいことは,「泣かないで何が嫌なのかはっきり言いなさい」とか「もう少しきちんとした字を書きなさい」ということだけです。だとしたら,「男の子でしょう」「女の子でしょう」の一言は余計なのではないでしょうか。

★★

懇談会の後半,ご参加いただいた方にアンケートを書いていただき,それを片手に聞いていただいたことは,こんな話でした。


男だから○○でなくてはいけない。女だから○○でなくてはいけない。そういうことを言わずにおこう。そんな硬い考えを子どもたちには伝えたくない。そんなことをずっと考えていくと,身の回りには気になる言葉がたくさんあります。

レディースランチ(レディースセット)……女の子はみんな少食(甘いもの好き)でなくてはならないの?
草食男子(恋愛に積極的でない男性)……男の子はみんな恋愛に積極的でなくてはならないの?
男女(という言葉)……男の子が先で,女の子は後でなくてはいけないの?
これは,あくまでも私個人の考えです。ご参加いただいた保護者の方は,最後までじっくりと話を聞いてくださいました。賛成とか反対とかではなく,私の考えにうんうんと耳を傾けてくださいました(私はこれこそが「心豊かな人」の姿だと思いました!)。いただいた感想の一部を紹介いたします。

今日の話を聞いていると,今年の運動会の組体操を思い出した。男子は全員で高いタワーを組んだが,女子は小さいタワーを組んだだけだった。子どもたちは「女の子は小さいタワーを組まなくてはならない」と学んだのではないかと思うと残念だ。 

帰ってから,組体操のことを子どもに聞くと「なんで女の子のタワーはないんだろうって思った」と言っていた。子どもの方が敏感に感じているようだ。組体操には毎年感動するが,取り組む子どもにとってもより良いものになってほしいと思う。 

アンケートで色々な言葉があったが,それらの言葉を「う~ん」と思うことが多い人は「別にええんちゃう?」と思う人から見れば「細かい人」に映るようだ。感じ方の違い,価値観の違いとは難しいものだと思う。

ご参加いただいた保護者の皆様,本当にありがとうございました。


★補足★


今読み返しても,学級だよりに載せるにはちょっと挑戦的過ぎたかなという気がします。ただ,ここに書いてあることは,うそ偽りのない私の考えそのものです。

ある人間を,その人のもつ属性(肌の色,国籍,性別,職業,出生地,干支,血液型など)によって判断する(決めつける)ことが,差別の根幹ではないか。だとすれば,目の前の子どもたちに「男は○○だ」「女は○○だ」ということは,「朝鮮人は○○だ」「部落出身者は○○だ」と言っているのと同じではないか。
子どもを教え導くことを生業とするのであれば,そういう感覚を絶えず磨いておきたい。そんな風に考えています。

そのほか,男女平等・人権に関する記事は以下の通りです。

おんなの腐ったやつ
http://tanakasensei.blogspot.com/2011/11/blog-post_14.html

トイレのサンダル
http://tanakasensei.blogspot.com/2011/09/blog-post_22.html

だれのしごと?
http://tanakasensei.blogspot.com/2011/09/blog-post_16.html


ご意見お待ちしています。



★補足2★


本記事内に,「黒人」「朝鮮人」「部落出身者」と言った言葉を用いています。これらの言葉そのものに悪意があるのではなく,どういう文脈で使うかが重要だと考えて,あえて使わせていただきました。
しかしわたしは,これらの言葉が悪意とともに使われてきた歴史的経緯から,言葉そのものに嫌悪感を抱く方も多いだろう,ということに思い至りませんでした。
気分を害された方にお詫び申し上げます。




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2011年11月14日月曜日

おんなの腐ったやつ

父親の言葉で,今もなお忘れられないものがあります。
それは,いつだったか叱られたときに言われた

「おんなの腐ったやつみたいだな,お前は」

という言葉です。

父の名誉のために断っておきますが,父は男女の違いで人を判断したり,差別的な言葉を平気で口にするような人間ではありません。父は今なお研究を続ける学者ですが,研究を共にする仲間を性別や国籍で選り分けるような人間でもありません。

その父がかつて私に言い放った言葉。

「おんなの腐ったやつみたいだな,お前は」

当時小学生ぐらいの私が,何をしてそんな風に叱られたのか,覚えていません。わずかに記憶しているのは,私が何か「くよくよしていた」り,「陰でこそこそ文句を言っていた」りしたから叱られたのだ,という曖昧な認識です。あるいはもっと重大な「ダメなこと」に対して叱られたのかも知れませんが,タナカ少年の脳には「何がダメなのか」という記憶が刻まれることはありませんでした。
代わりに残ったのは,こんな感覚です。

「おとこが腐るよりも,おんなが腐る方が,ダメなんだな」

同じ「腐る」なら,おとこの方がまだましだ,と。
叱られながら「おんなというものは,おとこが劣化したものなんだろうな」とか,「ああ,俺はおとこに生まれてよかった。おんなに生まれていたならば,腐ったおとこになることすらできなかった」などと考えていたのです。

次に考えたのは

「おんなというものはおとこよりも,くよくよしたり,陰でこそこそしたりするもんなんだな」

ということです。自分の姿は,「おとこが腐った」というよりもむしろ「おんなが腐った」というらしい。その「おんな」たる所以は「くよくよしていた」り「陰でこそこそしていた」りすることらしい,という認識です。

★★★

私の父は男ばかりの三人兄弟でした。私も男ばかりの三人兄弟です。
「おんなの腐ったやつみたいだな,お前は」という言葉は,そんな環境で育った父が学んできた「男らしさ」を,同じような環境で育つ私に向けて伝えるための言葉だったのかもしれません。
あるいはもっと単純に,「くよくよせずに自分の考えをはっきり言ってほしい」とか「陰でこそこそせずに堂々としていてほしい」という気持ちの表れだったのかもしれません。

いずれにしても,その真意がタナカ少年に伝わることはありませんでした。
残ったのは

「おとこが腐るよりも,おんなが腐る方が,だめなんだな」

「おんなというものはおとこよりも,くよくよしたり,陰でこそこそしたりするもんなんだな」

という漠然とした感覚だけでした。

★★★

父も含めて,現在私の周りで「おんなの腐ったやつみたいだな」という人はいません。その言葉のもつ差別的な意味が理解されて使われなくなったのか,それとも地域や時代による変化なのか,私にはわかりません。しかし,「おんなの腐ったやつ」と同じように,「おとこはこういうもんだ」「おんなはこういうもんだ」と,性に付随する価値観を固定してしまうような言い方は,いくらでもあります。

「めそめそ泣くな。男の子でしょう」

「男まさりの元気な子だね」

「草食男子(恋愛に積極的でない男性を指して使われる)」

「女の子が足を開いて座らないの,はしたない」

それぞれに伝えたい内容はあるでしょうが,そこに「男の子」「女の子」という要素を言い足すことで,その言葉の裏にある価値観をも伝えてしまってはいないかと思うのです。つまり,こういうことです。

「めそめそ泣くな。男の子でしょう」
(男は泣くものではない。女は泣くものである。)

「男まさりの元気な子だね」
(女は男よりもおとなしく,元気のないものである。)

「草食男子」
(男は「肉食的」であり,恋愛に積極的なものである)

「女の子が足を開いて座らないの,はしたない」
(女はつつましやかで,おとなしいものだ。)

これらを語る当人に,差別意識はないでしょう。その言葉だけを見れば,差別的とは言えないのかもしれません。しかし,( )内に書いたような「言葉の裏に伝わること」は,やはり不当な決めつけではないかと思うのです。
「めそめそ泣くな。男の子でしょう」と言われた人が,「いや,男だって悲しかったら泣くやろ。何があかんねん」と言えるほど自立した大人であれば問題はないのかもしれません。しかし,これらの言葉が子どもに投げかけられるとき,「言葉の裏に伝わること」の存在は無視できないと思います。
「おんなの腐ったやつみたいだな」と言われたタナカ少年が,「おんなというものはおとこよりも,くよくよしたり,陰でこそこそしたりするもんなんだな」と感じたように,「おんなは○○,おとこは○○」と性別によって「あるべき姿」を固定してしまうこと。それこそが,性差別の入り口ではないかと思うのです。

★★★

繰り返しになりますが,例えば酒の席で

「男らしくビシッと言ってやれ」

「ガサツな女はどうかと思うわ」

なんて会話をしちゃいけない,と言っているわけではありません。その場に居合わせた人にとって,そういう価値観が共有されるのであれば,別に構わないと思います。
しかし,これから価値観を形成していく子どもたちに向かって

「はっきりしゃべりなさい,男の子でしょう」

「もう少し丁寧にしなさい,女の子なんだから」

と言うのはどうかと思うのです。男だろうが女だろうが,「はっきりしゃべる」方がいい,「丁寧にする」方がいいのは同じです。そこにあえて「男の子でしょう」「女の子なんだから」と言い足すことが,本当に必要なのかどうか。言い足すことで「男の子ははっきりしゃべるものだ」「女の子は丁寧にするものだ」という「性に付随する価値観」を植え付けてしまわないか。そんなことを私たち大人は考えなくてはいけないと思います。


こんな話,共感していただけるでしょうか。





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2011年9月22日木曜日

トイレのサンダル

職場や学校のトイレのサンダルは,男女で色分けされていますか? 男子は青で女子は赤? それって何のため?というお話です。


★★


現在の小学校に着任したのは,今年の4月でした。3年生の担任となり,子どもたちの前で初めてのあいさつ。何度経験しても(と言っても数えるほどですが)わくわくドキドキする瞬間です。

「はじめまして,田中先生です。好きな色はピンクです。」

「えーっ!?」

どちらかというと「どピンク(=ショッキングピンク?)」が好きなのですが,まあそれはおいといて。不思議そうな顔を装って私は続けます。

「何が『えーっ!?』なの?」

「男やのに!」

「ピンクは女の色やん!」

「そう?でも好きなもんは好きだからしょうがないでしょ?」

「うーんそうだけど…」

こんな感じのやりとりでした。



今の学校に赴任したとき,同じ「小学校」でも今までの学校とあまりに違うことに驚かされました。私にとって最初の驚きはトイレのサンダルです。
男子トイレに並ぶ青色のゴムサンダル。一方女子トイレにはピンクのゴムサンダル。

前までいた小学校では,男女平等教育の観点からいろいろな取り組みがされていて,トイレのサンダルは男女ともに茶色(黄土色?)のものでした。以前は男女で青系・赤系と分けられていた体操服の色が男女ともに同色になったことや,男の子は「くん」女の子は「さん」と呼び分けずに男女ともに「さん」で呼ぶこと,今では当たり前となった男女混合名簿なども,そうした取り組みの一環だと聞いています。

当時を知る先生にお聞きすると,「そんなん,そのままでええやん」という声も少なからずあったようですが,少しずつ変えていったそうです。私自身はじめの頃は,自分の小学校時代の記憶と照らし合わせて,「別にサンダルの色なんてどうでもええやん」と思っていました。しかし,男女同色のサンダルや体操服,呼び方などに一旦慣れてしまうと,そうでない場面に出くわしたときに違和感を覚えます。
男女で青色とピンクに分けられたサンダルを見たときもそうでした。

「どうして男子トイレと女子トイレでサンダルの色を変える必要があるんだろう。これじゃまるで子どもたちに『青は男の色』『ピンクは女の色』と教えているみたいだ。」

3年生のトイレのサンダルはあちこち痛んでいて,ちょうど交換の時期が近づいていました。新しいサンダルの購入について管理職に相談しながら,男女の色分けについても恐る恐る聞いてみます。

「青色とピンクじゃなくちゃダメですか?」

「別に構わないよ」とのことだったので,さっそく事務員の方にお願いして買ってもらうことにしました。学校備品がずらりと載ったカタログを見ながら,トイレのサンダルを探すのですが,ここでまた問題が。

子ども用のサンダルって,見事に青系と赤系しかないんです。ベランダ用のサンダルなんかには黄色や茶色,グレーのものもあるのですが,それらはすべて大人サイズ。どのメーカーのどのカタログを見ても同じでした。中にはご丁寧にも「男児用」「女児用」と記されているものまであります(笑)。これじゃ,学校のトイレサンダルは,いつまでたっても色分けされたままですよね。

とは言え,このままでは埒が明かないので,再び管理職に相談です。青系と赤系しかないのなら,どちらかに統一するしかありません。

「どのカタログにも,青系か赤系のサンダルしかないんです。この際,全部ピンクでもいいですか」

青よりもピンクの方が色が薄めで,汚れたのがわかりやすいかなと思ったからです。返事はまたもや「別に構わないよ」とのこと。

かくして,3年生のトイレのサンダルは,男女ともにピンク色になりました。子どもたちはどんな反応をするのかな,「ピンクのサンダルなんて,履きたないわ!」なんて言う男の子はいないかな,とわくわくしながら翌日を迎えました。

「せんせい~,トイレのスリッパ新しくなってる・・・」

それだけでした。ピンクだ青色だと言ってくる子どもはひとりもいません。なんだか拍子抜けした気分でした。

でも逆に考えると,トイレのサンダルの色なんて,子どもたちにとってそれぐらいのことでしかないんですね。ピンクだろうが青色だろうが,別に構わない。困ることもない。それをわざわざ「青色は男の子用」「ピンクは女の子用」と色分けするべきだ,と思い込んでしまうのは,私たち自身が小さいころからそうやって「教え込まれて」きたからなんでしょう。

このような,「意図せずに,教師やほかの大人から教えられていくもの」が,学校には意外とたくさんあります。中には,それによって集団生活を円滑に進めることができるようになる,といった性格のものもあるかもしれません。

しかし,少なくとも『青は男の色』『ピンクは女の色』と教えてしまうような色分けは,そろそろいらないんじゃないかな,と思います。


★★


余談ですが,スリッパとサンダルの違いってなんなんでしょう。
私の勤務する小学校では,このタイプの履き物をトイレに備え付けてあるのですが,これって「サンダル」ですよね?なぜかうちの学校では,これを「スリッパ」と呼ぶのですが,これも「学校文化」ってやつでしょうか。




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2011年9月16日金曜日

だれのしごと?

平成23年6月24日の学級だより「すきやき」より

私の勤務する地域の小学校では,「人権教育」の一環で様々な指導を行っています。
そのうちのひとつが,「男女平等教育」です。オトナの私たちからすれば「何をいまさら…」なことかも知れませんが,私はけっこう大切なことじゃないかなと考えています。
この週はそんな「男女平等教育」についての授業をしました。3年生という発達段階を考え,今回は子どもたちにとって身近な「家事」における男女差について考える授業を組み立てました。


★以下 学級だより「すきやき」より★


「家の仕事(家事)って,だれの仕事?」

それぞれの家によって事情が違うので,「みんなの家ではどう?」と尋ねるのではなく,「世の中のおウチでは,お父さんかお母さんのどっちがしてると思う?」などと聞きました。炊事や洗濯,掃除はもちろん,「靴を揃える」「お布団を干す」「花に水をやる」「買い物に行く」なんて仕事も,全部お母さんの仕事。お父さんの仕事と言えば,「ペットの散歩」と「車を洗う」だけでした(笑)。

ひととおり割り振ってからさらに聞いてみます。

「なんか思うことがあったらどうぞ。」

「お母さんばっかり仕事が多くてかわいそう…」

「え,でもお父さんは外で仕事したはるやん。」

「ウチでは,お父さんもときどき料理します。」

「靴をそろえるのは,ひとりひとりが自分でやればいいと思います。」

「ウチでは,お父さんがお風呂とトイレ掃除の当番です。」

そんな話をしているので,もうひとつ聞いてみました。

「この中で,男がやらなあかん,とか,女がやらなあかん仕事ってある?」

すると「ひとつもない!」と即答でした。そこで少しイジワルな質問をしてみました。

「でも,テレビのCMでは,お皿洗いもお風呂洗いもトイレ掃除も,全部女の人がしてるよ?」

「うーん…」

その後,もう少し話し合ってから,振り返りカードを書きました。

     食器洗いはお母さんがやったらいいと思う。お父さんがやったら,慣れてないから手が滑りそう。
     レストランでは男の人も料理をしている。お父さんが作ったって変じゃないと思う。
     お父さんはお母さんよりも力もちだから,お父さんが買い物に行ったらいいと思う。
     料理はやっぱりお母さんがいいと思う。いつもやっているから。
     家の仕事は,ふつうはお母さんがするから,お母さんがした方がいいと思う。

興味深いと思いませんか。わずか8年の人生でしっかりと「家の仕事は女がするべきだ」「力仕事は男がするべきだ」と学んでいるのです。無理もないでしょう。子どもたちの周囲ではそれが「ふつう」なのですから。
しかし,自分にとっての「ふつう」は,本当に誰にとっても「ふつう」なのでしょうか。
世の中には,自分とは違う「ふつう」を信じて暮らしている人がいるかもしれない。
自分が思う「ふつう」を人に押し付けることで,誰かを傷つけてしまうかもしれない。
私は,そんなふうに感じられる大人になってほしいと思うのです。
今日の授業で,子どもたちの何かが急に変わるわけではありません。でも,いつか彼らの前に「力仕事がしたい女の人」や,「専業主夫になりたい男の人」が現れたときに,「えーーっ!女のくせに!」とか「うわーっ!男なのに!」というセリフを聞いて「え?何かおかしいの?それでもいいやん」と言える人になってほしいと,毎日ちょっとずつ種をまいているところです。


★補足★


今回改めて読み返してみると,オイオイとつっこみたくところがたくさんありますね。子どもたちの振り返りカードを読むと,本当はもっと偏っていた(「やっぱり料理や洗濯はお母さんがするのが普通だと思う」という感想が多数あり)のですが,この文面からはそれがほとんどわかりません。
実際,子どもたちは

「男(女)がやらなあかん仕事なんて決まってない」

と口では言いながらも,いざ自分の周りに目をやって振り返ってみると

「家の仕事はお母さんがやるのが普通だと思う」

と感じているのです。そこから,その「普通」は誰にとっても「普通」なのかな,ということを考えさせたかったのですが,授業もおたよりもトホホな結果に終わってしまいました。自戒の意味を込めて,そのまま載せることにします。



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