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2012年6月19日火曜日

男の好きなもの 女の好きなもの

子どもたちが何気なく口にする「おとこもん」「おんなもん」という言葉。その裏側にある「ふつう」の感覚について,考えてみました。


以下 平成24年5月19日学級だより「にこにこにくみ」より★


学校ホームページにも掲載しましたが,「1年生を迎える会」でかぶってもらうための帽子を作って1年生にプレゼントしました。32個の帽子をダンボールに入れ,箱の外側に絵を描いたりしながらきれいに飾り付けているときのこと。(中間休みに教室にいた何人かの女の子が飾り付けをしてくれました。)

「男の好きなものが全然ないやん。女のばっかりやん」

そんな風に訴えているのは,できあがりつつあるプレゼントを一目見た男の子たちでした。

「男子の好きな絵とか描けへんもん。仕方ないやん」

「そんなん言うんやったら,自分たちで描けばいいやん」

休み時間に飾りつけをしていた女の子たちも,負けじと言い返します。

はじめに訴えた男の子にしてみれば,自分の好みではない絵で埋められたプレゼントに違和感を覚えたのでしょう。それをもらう側の1年生の男の子も,同じように感じるのでは…と思ったのかも知れません。
一方で,一生懸命描いた飾りつけの絵を見るなり「女の絵ばっかりや」と非難されてしまった子どもの気持ちもよくわかります。どちらも言葉が足りないのはもちろんですが,私がなるほどと思ったのは「男の好きなもの」「女の好きなもの」という言葉が子どもたちの中で共有されていることです。箱に描かれていたのは,鳥を模したキャラクターや,ハート,星などのマーク,おめでとうの文字などですが,これらを「女の好きなもの」と呼ぶことには誰も異を唱えないんですね。そこで,「男の好きなもの」「女の好きなもの」と題してクラスの子どもたちに尋ねてみました。

男の好きなもの:ワンピース,ライオン,ドラゴンボール,ドクロマーク,ボール,コーラ…

女の好きなもの:ハート,星,ゆるキャラ,ウサギ,ハムスター,フリル…

たくさん書いていくうちに,「ん?」と思う子どもたちもいたようです。気になったことを尋ねました。

「ワンピースが好きな女の子って,ヘン?」

「ハートや星のマークが好きな男の子は?」

すると「ヘンじゃないけど…少ない」との答え。ウンウンと頷く人もいました。
じゃライオンは?――男女関係ないやん。なるほど,コーラもだ。

ワンピースやドラゴンボールが好きな男の子や,ハートマークやゆるキャラの好きな女の子は確かに多いでしょう。
じゃあワンピースが好きな女の子やゆるキャラが好きな男の子は「おかしい」かというとそうではありません。それぞれに好みが違うなかで,たまたま同じ趣味の人が同性に少ないだけです。
ところが「ワンピースは男の子が好むもの」というのが当たり前のような雰囲気の中では,女の子が「ワンピースが好きなんだけど!」とは言いにくいでしょうね。私自身,小学生の頃に習い事を聞かれて「ピアノを習っている」とは言い出しにくかったのを覚えています。 

たくさんの人が「○○って普通だよね」「○○するのが当たり前だよね」と思っているすぐ近くで,「いや,私は違うんだけどな…」と肩身の狭い思いをしている人がいるかも知れない。「あいつはヘンだ」と思われるのが嫌で本心ではないものを仕方なく選んでいる人がいるかも知れない。そんなことを感じられる人であってほしいと思います。

みんなの考えている「普通」って,本当にそうだろうか。ときどき立ち止まって考えてほしい。

こんなメッセージを伝えた3時間目でした。ご意見・ご感想お待ちしています。


★補足★


何を細かいことを…と考える人もいらっしゃるでしょう。こういうことを切り出すと,「え,そんなこと聞くん?」と驚いた顔をする子どももいます。

この話題ひとつだけを取り上げれば,取るに足りないことかも知れません。
それでも,「こんなこと」の積み重ねが「それって本当に”普通”かな」と立ち止まって考えられる子どもを育てることにつながるはず…と信じてがんばっていますよ,というお話でした。



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2012年6月11日月曜日

ノートを隠す子ども

勉強している子どものノートを見ようとすると,さっと隠されてしまうことがあります。後から提出すれば見られるにも関わらず,です。
そこには,単に「恥ずかしい」というのとは少し違う子どもの気持ちがあるのでは,と考えています。


以下 平成24年5月12日学級だより「にこにこにくみ」より★


授業中,子どもたちに考えや感想,気づいたことなどをノートに書かせていると,ときどき,書いている端から筆箱や腕を使ってノートを隠そうとする人がいます。
図工などでは「完成してから驚かせたい」という気持ちから,まだ見ないでほしいと思って隠すこともありますが,ノートを隠す場合,それとは少し事情が違うようです。

腕をどかしてノートを見ると「ははあ,なるほど」と思うことがあります。子どもたちがノートを隠すのは,考えや感想などの書いた量が少なかったり,書いた内容に自信がなかったりする場合なんですね。つまり「こんなノートを見られたら,何か言われるんじゃないか」という不安があるから,見られないようにしているのでしょう。 

――「もっと書くことがあるでしょう」「よく考えてごらん」「しっかり思い出して」

子どもたちが「言われたくない」と思うのは,教師のこんな言葉でしょうか。私自身,思わず口をついて出てしまう言葉です。
しかし,考えてみれば,もっと書くことがあれば子どもは書いているはずです。
そもそも「どう書いていいかわからない」とか「何を書いていいかわからない」から筆が止まるわけです。それなのに「もっと書くことがあるでしょう」と言われたところで「え…(それがないから困ってるんだけど…)」と思うばかりですよね。 

はじめから完璧に自分の考えを書ける人はいません。
書いたものを教師や他の大人に添削してもらったり,書きながらアドバイスをもらったりして,考えや感想,気づいたことを上手く書けるようになるのが普通です。しかし,子どもが自分から抵抗なくノートを見せる(広げておく)ようになるためには,それまでの教師の声かけが重要です。先生に見せれば「なるほど,そう書けばいいのか」と思えるようなヒントがもらえるはずだ,という安心感があるからこそ,子どもは隠すことなくノートを広げて「教えて」のサインを送れるのだと思うのです。

子どもが私の前でノートを隠さず広げているかどうか。それは,私が子どもたちにとって安心して「教えて」と言える相手かどうかを示すバロメーターでもあるのです。

余談ですが,家庭訪問中,何人かの保護者の方から「宿題を見ているとつい口を出しちゃうんですよ…」と相談いただきました。
「『もっと丁寧に書いたら…』『もっとゆっくり読んで…』『この計算は前に習ったじゃない…』なんてことばかり言っていると,うちの子もイライラしちゃって…」という言葉を聞いて,ただただ頭が下がる思いでした。
本来であれば宿題は「学校で習ったことを自力で復習する場」のはずです。そこに何らかのつまづきがあるのなら,学校での学習が不十分だったと考えるのが当然です。そんな私の力不足をご家庭で補っていただくのはとてもありがたいです。しかし,それによって宿題を挟んだ親子の関係が互いにとって気持ちのいいものでなくなってしまうのであれば,やっぱりなんだか違うような気がするのです。
そんなときは,「うちの子,○○ができてるか心配で…」「先生,なんとかしてーな」と,遠慮なく担任までお寄せください。


★補足★


「余談」まで読むと,まるで「家で宿題を見てあげるときには,あんまり口やかましく言わないであげてね」とでも言いたいかのようにも読めてしまいますが,そんな意図は全くありません。

私だってもちろん,”丁寧でない”字を書く子どもや,なかなか筆の進まない子どもを目の前にすればつい口を出したくなります。それが自分の子どもならなおさらでしょう。もっとちゃんとやりなさいよ,と。

一方で,”ちゃんとやる”ってどうすりゃいいのさ?とか,書けと言われても何を書けばいいのかさっぱり…という子どもの気持ちもわかります。

だからこそ,少なくともプロの教師の端くれとして,「しっかり…」「ちゃんと…」「よく考えて…」と言うだけの”指導”はしたくない。子どもが出来ないでいることや困っていることを見定めて,それを解決できるような言葉がけができるようになりたい。そういう指導を続けることで,ノートを隠してしまう子どももいつか安心してノートを開いておけるようになるのではないだろうか。

そんな風に考えています。



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2012年6月5日火曜日

「こえをだす」

以前お伝えした学級目標「にこにこにくみ」について,どうしても保護者の方へお伝えしておきたいことがありました。


★以下 平成24年4月27日学級だより「にこにこにくみ」より★ 


先週から,この学級だよりの名前が変わりました。
「にこにこにくみ」は5年2組の学級目標です。多少強引な感じもありますが,子どもたちと話し合って決めた学級目標です。

「あきらめずに」「こつこつと」「なかまといっしょに」の3つは,子どもたちが「こんなクラスにしたい」と自分たちで思い描いた学級の姿を短くまとめて表現したものです。そこに,1つだけ私の願いを付け足しました。それが「こえをだす」です。


声を出すこと。
それはつまり「自分がどう思っているかを伝える」ということです。

一般的には「○○について考えたことを話してみよう」とか「○○についてどんな風に思いますか」という質問に対して,「自分はこう思っている」ということを指します。それはもちろんですが,私は「考えたけどよくわからなかった」「なんとなく,しか言えないけど…」というように「わからない」「途中まで考えた」ということも重要な「発言」だと考えています。

さらに子どもたちには,そういう色々な友だちの「発言」に対して
「自分もそう」
「なるほど」
「よくわからないんだけど…」
「聞こえないよ」
「自分とは違うな」
というように,反応することも重要な「発言」だよ,と言っています。
当然ですが,このような「声」を出そうとすると,まず人の話をきちんと聞いていなければできません。

大人でも,大勢の前で「わからないんだけど…」と声を出すのは勇気がいります。場の空気を読んで「わかったふり」をしてしまうこともあるでしょう。しかし学校の教室は,自分が学び,知ることに貪欲な空間であってほしいと思うのです。互いに信頼し合い「わからないよ,誰か教えて」「それってどういう意味?」と声に出す姿を,馬鹿にしたり笑ったりせずに尊重し合える“学び仲間”でいてほしい,そんな風に考えています。

ご家庭でもぜひ「『わからない』って言えてる?」「『もう1度言って』って声を出してる?」と聞いてみてくださいね。


★補足★


学校と言えば「手を挙げて発言する」とイメージする人が多いように,学校ではとりわけ「発言すること」が重要視されてきたように思います。

「○○のわかる人」
「ハイ! ハイハイハイ!」

というやりとりは,微笑ましい教室の原風景としてメディアなどにもたびたび登場します。
しかし,「教室では手を挙げて発言するものだ」というイメージと同じぐらい(あるいはそれ以上に)「わかった人が発言する」「よく発言する人は賢い」という”常識”が一般に浸透しています。
実はこのこと自体が,「たくさん発言する人」と「なかなか発言できない人」をつくりあげてしまう要因ではないかと思うのです。

発言とは「正しい答えを正しく話すこと」ではありません。「言葉を出すこと」です。
教師の質問に対して,「きっと先生はこういう答えを求めているんだな」と察した言葉だけが発言ではないのです。「先生,何を聞かれているかさっぱりわかりません」とか「たぶんこういうことなんだけどうまく言えません」というのも立派な発言です。
むしろ,30人以上も子どもがいれば,教師の質問に対してそういう発言がある方がよっぽど自然です。「何を聞かれているかわからない」と言った子どもは,質問をもう一度違う言葉で聞くことができるでしょう。「たぶんこういうことだろう…」と口に出した子どもは,発言が周囲に賛同されることで自信を得る場合もあるでしょう。

そんな機会を子どもたちから奪い,「わからないから黙っておこう」「自信がないから誰かに任せておこう」と思わせてしまっているのが,「わかった人が発言する」「よく発言する人は賢い」という ”常識” です。

そんな”常識”ヘンじゃないか。
誰だって自分が「わかった!」と言うために必要な発言をするべきじゃないか。

そんな思いで書きました。


「わかった人が発言する」「よく発言する人は賢い」という ”常識” についてはもう少し書きたいことがあるのですが,それはまた別の機会に。



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2012年5月28日月曜日

学級目標を決める

ひと月も前の話で恐縮ですが,学級目標を決めました。
「どんなクラスにしたい?」と尋ねて,子どもたちから出てきたたくさんの言葉を少しずつまとめ,ひとつの言葉にしました。それがこちら。


あきらめず
つこつと
なかまといっしょ
えをだす
にくみ



昨年度の「すきやき」以上に強引な気もしますが,そこはご愛嬌。
学級だよりのタイトルにすべく,デザインしました。
ちなみに最後の「こえをだす」だけは,私の願いです。それについては,今後の学級だより&補足でちょこちょこと書いていきたいと思います。


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2012年5月22日火曜日

「先生○○していいですか」

5年生の担任になってまず驚いたのは,そんな質問があまりにも多いことでした。


★以下 平成24年4月20日学級だより「にこにこにくみ」より★


子どもたちから,毎日聞かれます。

「先生,トイレ行っていいですか」

「先生,手を洗ってきていいですか」

「先生,もう始めていいですか」

「先生,パンを残していいですか」

私はできるだけ「どう思う?」と答えるようにしています。
質問した子どもは一瞬「へ?」という顔になって,しばらく考えたのちに

「今は…だめだと思います」

とか

「いいと思います」

というように答えます。そしてほとんどの場合,その判断は間違っていません。
もともと「先生,○○していいですか」という質問自体,いいか悪いかを尋ねているのではなく「本当はダメかなーと思うんだけど,トイレ行きたい…」という主張(あるいは懇願)を含んだものなんですね。
授業中にトイレに行ってもいいかと言えば答えはノーです。でも,どうしても我慢できない。授業を抜けることになってしまうけど,ちょっとトイレに行きたいです――。そんなささやかな望みに「先生のお墨付き」をもらうための手続きが「先生,トイレ行っていいですか」なんだと思います。

「○○していいですか?」「いいですよ」というお墨付きがもらえずに,「どう思う?」と聞かれた子どもは突然自分で判断することを求められます。

「先生,トイレ行っていいですか」

「どう思う?」

「…今はダメだと思う」

「授業中だからね,トイレに行っていい時間じゃないですね」

というように。
その判断は間違っていません。大正解です。しかしトイレは生理現象ですから,我慢ができないこともあるでしょう。そういうときは「(我慢できないので)トイレに行ってきます」と言うんだよ,と指導します。


ここまで読んでいただいて,「何をまどろっこしい…」「アカンもんはアカンと言わないと」と思った方もおられるのではないでしょうか。しかし私は,2つの意味でこの“面倒なやりとり”が大切だと思っています。
1つめは,ものごとを自分で判断できるようになるということです。「今はトイレに行ったらダメだと思う」「今は手を洗ってきてもいいと思う」という判断を自分で下し,それが教師に「うん,先生もそう思うよ」と認められることで,子どもは自らの判断力を磨き,自信を深めていくのではないでしょうか。
2つめは,自分の責任で行動するということです。自分の判断をもとに行動した以上「先生がいいって言ったから」「友だちがやれって言ったから」という言い訳ができなくなります。誰かの価値基準にただ従うのではなく,自分の判断で行動するからこそ,もしそれが失敗に終わったとしても他人のせいにはできないし,その失敗を見つめることが自分の成長につながると思うのです。


「○○していい?」「どう思う?」 ちょっと回りくどいですがご家庭でも取り組んでみませんか。


「5年2組学級だより(仮)」改め,「にこにこにくみ」のスタートから長々と書いてしまいました。おたよりに関することはもちろん,それ以外でもご意見・ご感想・ご質問をお待ちしています。どしどしお寄せください。


★補足★


これを書いてから1か月が経ちました。「先生○○していいですか」はずいぶん少なくなりましたが,それでもときどき

「先生,トイレ行っていいですか」

「自分ではどう思う?」

「え? あ…ちょっと我慢できないので行ってきます」

というやりとりがあります。子どもたちが自分の判断に自信と責任をもつようになるにはまだまだ時間がかかりそうですが,焦らず根気強く続けていきたいと思います。



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2012年5月15日火曜日

地金の表れるころ

G.W.も終わり,新学期気分も抜けてきた頃です。4月から張りつめていた緊張の糸が緩み始める子どもや,高かったモチベーションが慣れとともに下がり始める子どももいるでしょう。担任としては,それが「ダメだ!」というのではなく,「まあ,そういうもんだろうな」と構えておこうと思っています。4月の第2週には,そんなことを考えておたよりを書きました。


★以下 平成24年4月13日学級だより「5年2組学級だより(仮)」より★



5年2組がスタートして一週間が経ちました。

誰だってはじめは緊張するもの。

「田中先生ってどんな人なんやろ」

「怒ると怖いかな」

「どんな話し方をするのかな」

「宿題は多いかな」

などなど,担任に対する不安もひしひしと伝わってきました。
子どもたちにとって不安の材料はそれだけではありません。クラス替えで学級の顔ぶれも変わりました。新しい学年になったことで,周囲の期待もこれまでとは違うでしょう。それらすべてが,子どもたちにとっての成長のチャンスであると同時に,大きな不安でもあります。

小学校では高学年として何かと任されることの多い5年生ですが,考えてみればこの世に生まれてまだ11年。大きな環境変化に慣れないのも当然です。

そんなわけで,この一週間子どもたちはかなり「ハイ」な状態でした。「5年生になったんだから」という自覚と緊張とで,今まで以上にがんばっちゃった人も多かったのではないでしょうか。しかし「ハイ」な状態は決して長続きはしません。緊張が解け,5年生としての生活に慣れてくると,だんだん地金が表れてきます。

「これくらい力を抜いても先生は許してくれるだろう」

「そこそこがんばればいいだろう」

「誰かがやってくれるだろう」

 「ハイ」な一週間では隠れていた,子どもたちの地の部分が表に現れてからが,本当のスタートだと考えています。「地の部分」がダメだというのではありません。誰だって,人の見ていないところではちょっとサボりたくなってしまうし,面倒なことを人に任せてしまいたいと思うことがあります(モチロンワタシモアリマス…)。そんな自分の弱いところを恥ずかしがらずに認めたうえで,「でもここはがんばりどころ!」「少なくともこれだけはやっておこう!」と切り替えられる人であってほしいと思います。


★補足★


補足というほどではありませんが…。
G.W.明けのいま,子どもたちはまさに地金むき出しの状態です。4月当初の緊張した面持ちが懐かしく感じられますが,そんなことを言っても仕方ありません。歯を食いしばって指導にあたる毎日です。


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2012年5月5日土曜日

学級だよりのタイトルを考える

4月のことなので,もうひと月も前の話になってしまうのですが。

学級だよりのタイトルを考えるのって,けっこう好きです。一緒に学年を組むことになった先生と

「今年はこれでいこうと思います」

「『○○する』という意味の熟語ってないですかね?」

なんて言い合いながらこれから出会う子どもたちのことを考える時間は,短い春休みの楽しみのひとつです。

それだけに,悩む人も多いのでしょうね。
試しに「学級だより タイトル」でgoogle検索してみると,こんなサイトが出てきましたよ。ちょっと見ただけでも,「ああ,それっぽい…」と思うタイトルがゴロゴロしています(笑)。

多くの場合,学級だよりのタイトルは,クラスや子どもたちへの願いが込められているようです。私自身,「こんな子どもたちになってほしい」「こんなクラスを目指したい」との思いからタイトルを考えていました。

「ありました」と過去形にしたのは,私はここ何年か,学級だよりのタイトルを学級目標と同じにしているからです。学級目標はもともと子どもが自分たちで決めたものです(もちろん教師の願いや意図も多分に含まれていますが…)。それを学級だよりのタイトルに転用することで,学級目標がただのお題目で終わらずに,子どもたちの中に浸透した(ような気がした)んですね。昨年度の「すきやき」なんかは,その典型的な例です。



子どもたちは

「ぼく,最近発表できてるで。すきやきの『す』や」

「話を聞こうや,すきやきの『き』やん」

などと言いながら,ことあるごとに「すきやき」を思い出していました。
振り返ってみると,毎週金曜日に学級だよりを発行するとき

「先生,『すきやき』まだ配らないんですか?」

「はーい,今週の『すきやき』配りまーす」

なんて言っていたのがよかったのかも知れません。
逆に考えると,もしこれが教師の決めた学級だよりのタイトルだったら,これほど浸透しただろうかとも思うわけです。




たとえば「青空」という学級だよりがあったとして,そこにはたとえば「あの青い空のように,澄み切った心の持ち主に育ってほしい」という願いがあるのかもしれません。しかしそれは,子どもたちから出てきたものではなく,あくまで教師の願いです。
「こうなってほしい」という教師の願い,それは「もう5年生なんだから…」というあの”魔法の言葉”と大きく違わないのではないかと思うのです。
ようやく前回の記事につながりました。

教師の願いや思いを否定するわけではありません。教師として,大人として,子どもたちに「こうなってほしい」と願うのは当然です。しかしそれが,「5年生だから…」とか「もう10歳なんだから…」という「あるべき姿」に子どもたちを当てはめていくようなものであれば,なんだかちょっと違うなーと思うのです。
「澄み切った心の持ち主に…」と願うのは,あるべき姿に子どもたちを当てはめているのとは少し違うのかも知れません。しかし,本来であれば子どもたちと実際に会い,話をして,「澄み切った心の持ち主じゃないなあ」という発見があって初めて,「澄み切った心の持ち主に…」という教師の願いが生まれるのではないでしょうか。そういうことを抜きにして,子どもたちに実際に会う前に言っているのだとすれば,やはりちょっと傲慢な気がします。


…とまあ,こんなわけで4月当初の学級だよりが(仮)なんですね。


★補足★


ここまで書いてふと思いました。
本当に力のある先生なら,学級だよりのタイトルに転用なんかしなくても,学級目標を子どもたちに浸透させられるんだろうな,と。
そんな先生にとっては,学級だよりのタイトルなんてそんなに重要なことじゃないんだろうな,と。


…先は長いですね(笑)。



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2012年4月24日火曜日

「もう5年生なんだから…」

新年度がスタートしてはや2週間が経ちました。昨年度は3年生でしたが,今年度は5年生の担任です。実は初めての高学年でして,不安もありますがワクワクしています。

今回は,4月6日始業式の日に子どもたちに配った学級だより第1号を掲載します。この日のおたよりには学級名簿を一緒に載せましたので,少ないスペースで書く必要がありました。放っておくとどんどん文章が長くなる私にとって,最初の試練です。


★以下 平成24年4月6日学級だより「5年2組学級だより(仮)」より★



進級おめでとうございます。 

5年2組の担任となりました,田中先生と申します。

「そんなことより(仮)とはなんだ(仮)とは!」とお叱りを受けそうですね。2組の子どもたちに出会い,ひとりひとりの顔をじっくりと見て,実際に話をしてみてから決めようと考えています。というわけで,少しの間だけ(仮)の題名をお許しください。

5年生というと「高学年の仲間入り」とか「6年生のリハーサル」というようなイメージがあるからでしょうか。子どもたちにも,つい「もう5年生なんだから…」と言ってしまいがちです。しかし本当は「5年生だから○○」という決まった姿が先にあるのではなく,子どもたちひとりひとりが「なりたい自分」を思い描き,努力を続けたその先にそれぞれの5年生の姿があるのだと思います。私たち大人のできることは,そんな「なりたい自分」を目指す子どもたちが安心して前に進めるように,陰日向に支えることではないでしょうか。
保護者の皆様にもたくさんのご協力をお願いすることがあるかと思います。一年間,どうぞよろしくお願いします。


★補足★


4月,学級開きの様々な場面で,教師はつい「5年生になったんだから ○○ 」とか「5年生なんだし □□」という”魔法の言葉”を口にしながら子どもたちとの関係を築いていきがちです。「さすが5年生」なんていうのもその1つかも知れません。子どもたちは健気にも「そういうものなのか」と思い,4月パワーで必死にその○○や□□を目指そうとします。
ところが実際には,そう簡単に(魔法にかかったように)何かができるようになる子どもばかりではありません。カレンダーが3月から4月になっただけで皆が急に成長するなんて,そんな妙な話はないでしょう。
もちろん4月という心機一転のチャンスに「今年こそは!」と意気込む子どもは多いでしょうし,そういう気分の高まりが子どもの力を伸ばすという側面もあると思います。しかし,だからと言って,教師が「もう5年生なんだから…」と言いながら子どもを伸ばそうとするのは,なんだかズルいような気がするんですね。うまく言えないのですが…。

そんな思いもあって,「学級だより(仮)」なのだと自己分析しています。このあたりは次の機会に。



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2012年4月2日月曜日

年度末のご挨拶 ~子ども編~

4月になり,新年度の準備も始まっていますが,前回の記事の最後に書いた「ちょっと別のこと」をまだ載せられていなかったので,なんとなく年度末の気分でした。平成23年度最後のおたよりのタイトルは「3年○組を卒業するみんなへ」です。


★以下 平成24年3月23日学級だより「すきやき」より★


3年○組がスタートしてもうすぐ1年がたちます。着任式(ちゃくにんしき)の日,運動場で田中先生を見て 「どんな先生なんだろう」「こわい先生かな」とドキドキしていたみなさんの顔を,今でも思い出します。みんなにとって田中先生はどんな先生でしたか。みんなにとって3年○組はどんなクラスでしたか。

4年生になれた人も,そうでない人(?)も,この仲間(なかま)や田中先生と一緒(いっしょ)にすごすのは今日でおしまいですね。最後(さいご)の日ですので,田中先生からみんなにお別(わか)れの言葉を書こうと思います。お別れの言葉といっても,田中先生がずっと言い続(つづ)けてきたことなので,「またか」と思う人がいるかもしれません。でも,4年生になっても5年生になっても,6年生になっても絶対(ぜったい)にわすれないでほしいことです。だから,しつこいけれど書いちゃいます。


自分で考える

友だちの言うことを聞くのは大切です。でも,友だちがいつでも正しいとはかぎりません。本当に正しいかどうか,それを考えるのは自分なのです。
考えるヒントは「どんな自分になりたいか」です。
「○○さんもやってた」とか「□□さんがやれって言った」という人は自分で考えていません。○○さんが何をしようが,□□さんが何を言おうが「どんな自分になりたいか」を考えてください。 


先生がいないときに,本当の自分が出てくる

先生に言われてから行動する人は,先生がいなくなると何もできません。
先生がこわいからがんばっている人は,先生がいなくなるとがんばれません。
本当の自分は,先生がいないときにわかります。 


伝わるまで伝える あきらめずに伝える

「ごめんなさい」「ありがとう」「○○されていやだった」「それ,おかしいよ」…。どんな言葉も相手に伝わらなければ意味がありません。一度でうまく伝わらなければ,言い方をかえて何度でも伝えること。「どうせ言ってもむだだから…」とあきらめないこと。


うそをつかない ごまかさない

失敗してもいいのです。まちがってもいいのです。失敗もまちがいも,成長するためのチャンスだからです。「どうして失敗したのだろう」と考えるときに人は成長します。失敗やまちがいをごまかす人は成長しません。


「わからない」は「わかった」への近道

「わかった」からいちばん遠いのは「わかったつもり」です。はずかしがらずに「わからない」「教えて」と口に出して言える人は,かならずわかるようになりますよ。


みんながなかよしじゃなくてもいい みんなが気持ちよくなれるように

人はみんなちがうのだから,考えや意見が合わないのがふつうです。苦手な人がいたっていいのです。ただし,好きな人とも,苦手な人とも,おたがいに気持ちよくすごせるようにしてください。自分だけでなく,相手も気持ちよくすごせるかどうか,です。


やっぱり,「またか」と言いたくなるようなことばかりでした。ちがう学年になっても,ろうかですれちがったときには「がんばって伝えてるで」とか「『わからない』ってちゃんと言えてるで」と教えてくださいね。


3年4組学級通信「すきやき」はこれでおしまいです。
みんながいたから先生もがんばれました。先生ががんばればがんばるほど,みんなは大きく成長して見せてくれましたね。こんなに大変で,こんなにおもしろいクラスは初めてです。


みんなに会えてよかった。本当にありがとう!




★補足★


この1年間,彼らにいったいどれだけのことを伝えられたのでしょうか。
学習へ取り組む姿勢や友だちとのことなど,私が伝えたかったことの10分の1ほども子どもたちには伝わっていたのでしょうか。
年度末を迎えるにあたって,そんなことばかり考えていました。

とはいえせっかくのおたよりを「お説教」で終わるのはちょっと…と思うので,何度か推敲してこんな形になったわけですが……やっぱり「お説教」ですかね(笑)。
最後の方に書いた
やっぱり,「またか」と言いたくなるようなことばかりでした。
というのはそんな自分への照れなんだと思います。

子どもたちに向けてメッセージを書いたのは4月当初の「すきやき」以来です。そのこともあって,最後の「すきやき」を配ると子どもたちは食い入るように読んでくれました。慌ただしい年度末のことなので,子どもたちに感想を聞くことができなかったのが残念でした。

今になって少し冷静に振り返ってみると,ひとりの教師が子どもたちにあれもこれも教えられる,と思うことのおこがましさのようなものも感じます。
先生は全部伝えたからあとは君たち次第だよという,ある種の無責任さも感じます。

それでも書かずにいられなかったのは,この1年間の自分の指導への不安の裏返しなのでしょうね。あとは子どもを信じて,自分の指導を信じるのみです。



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2012年3月25日日曜日

年度末のご挨拶 ~保護者編~

23日は修了式でした。ここ1か月は成績処理に追われる日々で,学級だよりにかける時間もあまりとれませんでした。それでも何とか保護者の方にお礼ぐらいは…と思っておたよりを書きました。
そんなわけで,前回のおたよりから1か月近く開いてしまっています。


★以下 平成24年3月16日学級だより「すきやき」より★  


いよいよ学年末,来週で最後の週となりました。この「すきやき」の紙面ではじめましての挨拶をしてから,早いものでもう1年が経つのですね。保護者の皆様には1年間,大変お世話になりました。

前期の終わりと同じように,「もっとできることがあったのではないか」と自問しながらこの時期を迎えていますが,今年はこの「すきやき」についても同じことを考えています。
学校での学習の様子や,休み時間の子どもたちの様子など,もっと他に載せることがあったのではないか。ホームページには学習の様子を写真付きで載せているとはいえ,今年の「すきやき」はあまりにも担任のひとりよがりになってしまってはいなかったか。

内容についての直接のご感想をいただいたり,子どもたちから「うちのお母さん,毎週楽しみにしてるよ」というようなこと聞くたびに,それを自分の力に換えて書き続けてきました。何かひとつでも保護者の方の心に引っかかって「ふーん,先生ってこんなこと考えてるのね」とか「ちょっと家でも真似してみようかな」というように,普段の生活にプラスになればこんなに嬉しいことはありません。

学校で,子どもたちは挑戦し,失敗し,また挑戦し,友だちに認められ,あるいは傷つけられ,喜び,悲しみを織り交ぜながら成長していきます。そしてこれこそが集団で学ぶことの意義だと私は考えています。しかしそのためには,子どもたちにとって安心できる心のよりどころが必要です。
それが家族の力ではないでしょうか。
いつでも温かく迎え入れてくれる,子どもたちのどんな姿をも受け止めてくれる懐の深い家庭があってこそ,子どもたちは安心して挑戦できるのだと思います。

この1年間,子どもたちは全力で挑戦し続け,たくさん失敗をし,そのたびに成長してきました。
陰日向になって支えてくださったご家族の方への感謝をもって,早めのご挨拶とさせていただきます。

1年間,ありがとうございました。




★補足★




修了式が23日ですから,このおたよりはそれより一週間前のものになります。一週間後,修了式の日に発行するおたよりにはちょっと別のことを載せたいと思っていましたので,「早めのご挨拶」となったわけです。


「ちょっと別のこと」は次の機会に。






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2012年3月15日木曜日

続・先生なんていなくても

学級だよりで「来週に続く」なんて,そんなんアリか?とも思ったのですが…。お付き合いください。


★以下 平成24年2月17日学級だより「すきやき」より★ 


「4年生になっても田中先生がいいなあ」


この時期になると,こんな嬉しいことを言ってくれる子どもがいます。そんなときは私もつい頬が緩んで「そうやねえ。同じだといいねえ」と答えています。

この1年間(…まだ終わっていませんが),子どもたちは大きく成長しました。授業中に手を挙げて発表できるようになった人,友だちとのトラブルを自分で解決できるようになった人,「わからない」と言えるようになった人,宿題を忘れなくなった人,漢字をとても丁寧に書けるようになった人。
そんな成長を「田中先生のおかげで…」と言ってもらえるのであれば,教師としてこんなに嬉しいことはありません。

そんなことを考えているとき,「先生がいないときにこそ,本当の力が試されるんやで」という先週の言葉が私の耳に重く響きます。それは,子どもたちの成長が本当に子どもたちのものになっているか,ということです。


たとえば「田中先生はシールをくれるから」という理由だけで漢字を丁寧に書き続けてきた人は,シールをもらえなくなったらどういう字を書くでしょうか。「互いが納得するまで話し合わないと田中先生に叱られるから」という理由だけで友だちとのトラブルを解決してきた人は,叱られなくなったら話し合うことをやめてしまうかもしれません。
もちろん,授業中に手を挙げて発表できるようになったきっかけが「田中先生が挙げろというから」でも構いません。宿題を忘れなくなったきっかけが「忘れたら田中先生に怒られるから」でも構いません。しかし,いつまでもそのままではいけないなと思うのです。

「田中先生に怒られるから〇〇する(しない)」の次なるステップは「自分はその方がいいと思うから〇〇する(しない)」です。教育用語では前者を「外発的動機」,後者を「内発的動機」と言います。「外からの力」を動機として行動するのか,「内からの力」を動機として行動するのかの違いです。

難しいのは,どちらの場合も見た目の行動は同じであるということです。
「先生が怖いから」落ち着いて勉強しているのと,「自分がそうしたいから」落ち着いて勉強しているのは,見た目にはほとんど変わりません。その差がはっきりするのは,先生がいなくなったときです(ようやく先週の話につながりました)。
先週書いた自習の日は「先生がいなくなる日」に過ぎません。しかし学年末は「この先ずっと先生がいなくなる」のです。4月になれば,それまでの成長が本当に子どもたちのものになっているかが試され,はっきりと目に見える結果となるのです。

誰の前ででも,どんな仲間の中ででも,自分の力を精一杯伸ばし成長しようとする。そんな人になってほしいと考えて今日まで指導してきました。残り一か月,少しでも多くのことを「内発的動機」でできるようにしていきたいと思います。


先生がいないときにこそ,本当の力が試されるんやで――つくづく重い言葉です。





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2012年3月12日月曜日

先生なんていなくても

何とも挑発的なタイトルですね。そのままおたよりのタイトルでもあります。
今回は,これまでの自分の指導を振り返りながら,こんなおたよりを書きました。


★以下 平成24年2月10日学級だより「すきやき」より★


子どもたちに聞いていただければわかりますが,私はときどき自習にします。
授業研究のために他のクラスや他の学校を見に行く場合がほとんどですが,そのたびに子どもたちに話していることがあります。それは「先生がいないときにこそ,本当の力が試されるんやで」ということです。

4月当初に「前にならえ!…でいいの?」というおたよりを書きました。
誰かに「前にならえ!」と号令をかけてもらうからまっすぐ並ぶのではなく,「今はまっすぐ並んだ方が格好いいぞ」という場面を「自分で判断して」並べる人になってほしい,という話です。
「先生がいないときこそ,本当の力が試されるんやで」というのはその上級編にあたります。

「前にならえ」のような号令でなくとも,教室にいれば先生が指示することはたくさんあります。
「はい,授業始めるよ」といった時間に関わることや「○○さんが話しているよ(注目してね)」といったコミュニケーションに関わることまで,子どもたちは「先生の言葉」を浴びながら生活し,学んでいるのです。そんな環境においては,自分で「授業が始まる時間だから用意しておこう」とか「○○さんの方を見て話を聞こう」というように考えていなくても,「先生の言葉」によって「あ,そうか」と気がつくことができます。

ところが,普段からその状態(先生の言葉を聞いて行動すること)に慣れている人は,いざ先生がいなくなってみると,授業が始まる時間や,○○さんが話していることに気がつきません。指摘されないとわからないのです。また,先生が教室にいることで「あ,先生が怖い顔してるな」とか「そろそろやめておかないと怒られそうだ」というように,先生の顔色をうかがうこともできます。
いずれにしても「先生がそう言ったから」とか「先生に怒られるから」というような理由で,自分の行動を考えるわけです。

「先生に怒られるから」がんばる子どもと「その方がいいと自分で思うから」がんばる子ども。
困ったことに見た目ではほとんど区別がつきません。どちらもがんばっています。ところがいざ先生がいなくなってみると,その差ははっきりと表れます。「先生に怒られるから」がんばっていた子は,怒る人がいなくなればがんばる理由もなくなります。逆に「その方がいいと自分で思うから」がんばっていた子は,怒る人がいようがいまいが変わりません。これが「先生がいないときにこそ,本当の力が試されるんやで」ということです。

実はこの言葉,年度末になるといつも私の耳に重く響くのですが,その話は次の機会にお預けですね。ではまた来週。


★補足★


「ではまた来週」で終わるおたよりなんて,我ながら前代未聞です。短くまとめられるのが一番なのですが,私の稚拙な文章力では短くなっただけ内容が削がれてしまう気がして,相変わらずダラダラと伸びてしまいます。



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2012年2月13日月曜日

いじめが始まるとき その1

いじめはいけない。いじめはダメなことだ。
そんなこと,誰だってわかっています。小学生に「いじめってどう思う?」と聞けば,「だめ!」とか「かっこ悪い!」というように,100%否定するでしょう。
それでもいじめはなくなりません。今回は「いじめはいけない」とわかっている子どもたちの中に,どうやっていじめが生まれるのか,そんなことを考えてみました。


★以下 平成24年2月3日学級だより「すきやき」より★


休み時間,子どもたちは色々に関わって遊んでいます。互いに手を抜いて押し合ったり,誰かを持ち上げて振り回したりというような「じゃれあい」や「悪ふざけ」もそのひとつです。

大きな怪我につながらない範囲で互いに楽しんでいる分には,特に問題になることはありません。どちらかが「やめてー」と言い出すか,誰かに「やめときや」と言われる頃には,そんな「じゃれあい」も終わりになります。ところがこの「やめて」の見極めが難しい。さっきまで皆が「楽しい」と思っていたわけですから,「やめて」が本気なのか,楽しさ半分に言っているのか,そこがわからないのです。

「何度も『やめて』って言ってるのに,どうしてやめてくれないの」

「え? 楽しそうにしてたやん。ホンマにやめてほしかったの?」

トラブルになってから改めて聞いてみると,こんなやりとりになることはよくあります。


やめてと言っている人に何かをし続けるのは間違っている。常識的にはそうです。しかし,実際には「やめて」の声が届かないことの方が多いのではないでしょうか。
それは,決して特別なことではありません。私たちは,テレビに出てくるお笑い芸人がひどい目に遭っている姿を見て「楽しい」と笑います。身近なところでは「いじられ役」という言葉があるように,仲間うちでも「他人にからかわれる人」の存在を暗に認めています。「○○はいじられ役だから」という言い方で,まるでその人が自ら好んで「いじられて(=からかわれて)」いるかのような言い方さえします。そんなとき,お笑い芸人やいじられ役の口にする「やめてくださいよ~」は,訴えなどではなく,見る者の楽しさを増すものでしかないのです。

お笑い芸人はそれが仕事ですし,そうでなくとも「いじられ役」と呼ばれることを嬉しいと思う人もいるかも知れません。しかし,当の本人が「楽しい」「嬉しい」とは思えないのであれば,それは単なるいじめです。いくら「楽しそうにしてたやん」と思っても,相手が同じように楽しんでいないのであれば,ただの嫌がらせです。

子どもたちは「自分がされて嫌なことは,人にもしてはいけないよ」と言えば素直にハイと言うでしょう。しかし本当に怖いのは「自分がされて嫌なことは,人にもしない」という当たり前のルールが,「楽しい」という感情の前では忘れられてしまうことがある,ということではないでしょうか。

★★

子どもたちに「楽しいって,怖いね」と話しました。するとある人がこんなことを話してくれました。

「私は友だちが『やめてー』と言いながら逃げているところを見て,思わず笑ってしまいました。今考えると,私も同じようにいじめてしまっているのかもしれないと思います。」

そのときの様子を思い出し,涙ながらに話す姿を見て「そういうことか」と思った人がいたようです。「同じように感じた人はいますか」と尋ねると,ちらほらと手が挙がりました。

「自分は外遊びのときに,友だちの失敗するところを見てみんなで笑ってしまっていたけど,その人がどう思っていたかはわからない。もしかしたら『嫌だなあ』と思っていたかもしれない。」

そうやって,自分のことに置き換えて考えている人もいました。

じゃれあいの遊びも本人たちが納得してこそ,です。「楽しい」の先にあるものが,ただの嫌がらせになっていないか,楽しいなあと思っているときこそ要注意なんやね,と話しました。




★補足★




記事のタイトルは【「楽しい」の先にあるもの】でした。
補足を書こうと思ったのですが,ちょっと長くなりそうなので続きます。




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2012年2月7日火曜日

文章題が苦手な子どもに

「算数の文章題が苦手なんです」

保護者の方と話すと,必ずと言っていいほどこんな相談をいただきます。

こんなときによく「読解力をつけるにはやはり読書を…」とか「一文ずつ口に出して読む習慣を…」というようなことを言ってしまいます。でも,文章題の得意不得意を,読書習慣や注意力だけの問題にしてしまうのは,少し乱暴すぎる気がするのです。

文章題が苦手な人は,読解力を鍛えなさい。

今回は,そんな定説(?)に一石を投じようと,こんなおたよりを書きました。


★以下 平成24年1月27日学級だより「すきやき」より★

広場にハトがいました。 
そのうち,5羽飛んでいきました。 
また,8羽飛んでいったので,残りは17羽になりました。 
はじめ,ハトは何羽いましたか。

少し考えればわかるのですが,一度聞いただけでは大人でも「ちょっと待てよ…」と立ち止まってしまいそうな文章問題です。
17+8+5=30 で答えは30羽です。これが
広場に30羽ハトがいます。
そのうち,5羽飛んでいきました。 
また,8羽飛んでいくと,ハトは全部で何羽になりますか。

と書いてあればずっと簡単ですね。30-5-8=17 で答えは17羽。

広場にたくさんいたハトが減っていく,という問題場面そのものは変わらないのに,問題文の書き方ひとつでずいぶん難しくなります。下の文章が時間を追って流れていくのに対し,上の問題は時間を遡って考えなくてはなりません。「こういう問題を解くには国語力(読解力)が必要」なんてことをつい言ってしまいそうです。

文章を読み取る力は確かに重要です。しかし,上の問題を読んで「ふんふんなるほど,ハトが飛んでいったのだな。飛んでいく前の数を求めるには…」と読解できなければ,解けないのでしょうか。「5と8と…17をどうすりゃいいんだ?」と頭を抱える子には「もう一度じっくり読んでごらん」と言う以外に方法はないのでしょうか。

それを解決する方法のひとつが,図を描くということです。子どもたちは1年生の頃から問題文を図にしていますが,これはその活動を通して,「手がかりになる図」の描き方を学んできているとも言えます。

ところがこの問題は,とても図に表しにくい。
「(はとが)5羽飛んでいきました」を図にしようと思っても,「どこから」5羽飛んでいったのかがわからないので描きようがないのです。描きようがないのでとりあえず次を読んでみると,またもや「8羽飛んでいきました」さらには「17羽になりました」…お手上げです。

そんな描きようのない図をかくときに有効なのが,2年生でも学習した「テープ図」です。3年生ではそれをもう少し簡略化した「線分図」を学習します。その線分図を,問題文の一文ごとに描いていくこと。これが「式をたてるまでの手がかり」になるのではないかと考えています。問題文と線分図を以下に掲載します。 

     広場にハトがいました。

     そのうち5羽飛んでいきました。

     また,8羽飛んでいったので,

     残りは17羽になりました。

     はじめ,ハトは何羽いましたか。


これならなんとか「17と8と5を足すんだな」と考えられるのではないでしょうか。とはいえ,一度の授業でバッチリ身に付くものではありません。ご家庭でも話題にしてもらえればありがたいです。


★補足★


紙面の都合もありますが,あまりにもお粗末な終わり方でした。
補足させてください。

文章題が苦手な人は,読解力を鍛えなさい。

という定説(?)に投じたい"一石"は,「図を描きなさい」ではありません。
「問題文どおりに図を描きなさい」です。
この「問題文どおりに」というのが重要じゃないかと思うのです。ここで言う「問題文どおりに」というのは「問題文に書かれている順番どおりに」という意味です。


この問題,教科書には 「図を描いて考えよう」 という説明書きがあります。
その下にはこんな線分図。
文章題を読んで「ふんふんなるほど」と理解できる子は,この図を説明の道具にできます。「まず,5羽飛んでいったでしょ,次に8羽飛んでいった。それで17羽残ったんだから――」という具合に。
文章題を読んで「5羽? 8羽? うーん…」と悩んだ子も,この図を見れば,17と8と5を足せばハトの数がわかるな,と考えられます。

問題は,この図をどうやって描いたか,です。
次にこんな問題に出会ったときに,自分で図を描いて立式できなければならないからです。

文章題を読んで「ふんふんなるほど」と理解できる子は,ハトが戻ってくるところをイメージしながら,この図を「5羽」から描き始めます。次に「8羽」。それらがとんでいった後の「17羽」を描いて完成。「全部で30羽」になる図が描けます。問題文の時系列を理解したうえで,無意識のうちに時間を巻き戻したり進めたりしながら図を描くことができるのです。
ところが,「5羽? 8羽? うーん…」と悩む子はこの図をどこから描き始めたらいいのかわかりません。文章題を読んだだけでは時間の経過とハトの増減が理解できず,「問題文どおりに」描こうと思っても「もともといたハト」が描けないために「5羽飛んでいく」が描けないわけです。

そこで,今回の「線分図」や2年生で学習する「テープ図」の出番です。
線分図やテープ図を使う利点は「具体数を描かなくてもよい」ということ。ハトを1羽ずつ○で表そうとすると何羽いるかがわからないと描けませんが,線分図やテープ図なら「何羽かわからないけど,たくさんのハト」が描けるのです。
それはつまり,この問題でいう「広場にハトがいました」という一文を描くことに他なりません。そしてこのことが「問題文どおりに図にする」ための,重要な武器になることもおわかりいただけると思います。これまで,「もう一度じっくり読んでごらん」としかアドバイスできなかった子どもたちに,「問題文どおりに図に描いてごらん」と言えるようになるのです。


補足のつもりが長々と書いてしまいました。
「図を与えられれば解ける」という子が「どうしたらいいかわからん!」というときに,自分で図を描く技術を身に付けてほしいと思っています。
その技術のひとつとして今回は,「何羽かわからないけど,たくさんのハト」を描く方法について考えてみました。「未知数を未知数のまま表す方法」と言えばいいのでしょうか。

時間をとって,もう少し整理したいですね。ご意見お待ちしています。





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2012年1月30日月曜日

手に汗にぎる “モンスターボックス”

学校の体育,と言えばとび箱を思い出す人も多いのではないでしょうか。今回はそのとび箱と「達成感」の関係について思うことを書きました。


★以下 平成24年1月20日学級だより「すきやき」より★


とび箱のことを「モンスターボックス」と呼んでいたのは,とある筋肉の番組でした。(最近,テレビの話で始まってばっかりですね。)番組内では電話ボックスよりも高い箱をとぶ超人(鳥人?)まで現れましたが,小学校の体育では50~90cmぐらいの高さに挑戦します。

個人的にはこのとび箱,ちょっと力が入ってしまいます。その理由が「達成感」です。
たとえばサッカーでは,「ゴールが決まった!」と喜ぶのはもちろんですが,他にも「パスがうまくできた」とか「相手の攻撃を防いだ」というように,いろいろな達成の形があります。
水泳でも,「クロールができた!」だけでなく「顔を水につけられた」とか「プールの底に触れた」というように,いろいろな達成の形があります。
そうやって少しずつ達成感を味わいながら,最終的には「試合に勝つ」とか「25m泳ぐ」というような目標を目指すわけです。


ところが,とび箱は「とべた」というたった1つの目標に向かう活動です。いくら「踏み切りがうまくいった」とか「着地は完璧だった」と言ってみても,とべなければ達成感は得られないのです。とべるか,とべないか。このシンプルさがとび箱の面白さであり,教師にとっての怖さでもあります。だから「つい力が入る」のですね。


実際の体育の授業では,時間を区切って「縦開脚とびで高さに挑戦する」「がんばればできそうなとび方に挑戦する」という2つのめあてに向かって取り組んでいます。
「がんばればできそうなとび方」というのは,「縦開脚とび」「横開脚とび」「かかえこみとび(閉脚とび)」「台上前転」の4つで,それぞれが技を選んで練習に取り組みます。
この練習というのが難しい。
とび続けていればいつかできる,というわけではありません。それぞれの技とひとりひとりの技量に応じた練習方法があります。コンピューターの映像教材で模範となるとび方を見てイメージしたり,こつや練習方法の書かれた資料を見たりしながら,友だちと協力して進めていきます。

「手を着く位置はもっと前に!」(縦開脚とび)

「台の上で回るときは首を曲げて!」(台上前転)

練習が熱気を帯びてくると,体育館にはこんな声が飛び交います。そしてあるとき,

「やったー!○○さん,できたやん!」

「できたー!」

という声と拍手。見ると,同じ場所で練習していた子どもたちが仲間の成功を一緒に喜んでいます。「友だちが成功したらみんなで拍手しましょう」なんて言っていません。どうすればとべるようになるかを自分たちで考え,練習場所を工夫し,声をかけあいながら練習したからこそ,友だちの達成に共感できるのだと思います。


体育は運動の仕方を学ぶ教科です。しかしそれだけではありません。技量に応じて練習の仕方を考えること,練習のための環境を整えること,そして仲間と協力して取り組むこと。そんなことも学んでほしいと考えています。

私も「とべた!」の瞬間に立ち会いたくて,もう少しでとべそうな子の傍で必死に声をかけています。今日金曜日がとび箱最終日。子たちは,達成感をもって「○段とべるようになったよ」「○○とびができたよ」と,胸を張って言ってくれるでしょうか。
おうちでの報告を楽しみにしておいてくださいね。


★補足★


ブログに掲載するときに自分の書いたおたよりを読み直すわけですが,今回はかなり困ってしまいました。というのも自分の書いたおたよりが,ずいぶんと脇道に逸れてしまっていたからです。
自分は何を伝えたかったのかという視点で読み直すと,毎度のことながらこの★補足★が欠かせません。出してしまったおたよりの文章には手を加えられませんので,今回もこの補足でちょこっとだけ申し開きをさせていただきます。


私は体育の専門ではありませんので偉そうなことは言えませんが,とび箱の指導においても「いろいろな達成の形」を設定し,子どもに意識させることは可能だと思います。実際にクラスの子どもたちの中には「さっきより手を着く位置が良くなった」とか「踏み切りが合うようになった」ということに達成感を覚え,手ごたえを感じている子どももいました。
しかし「とべた!」という達成感は,それをはるかに凌ぐものです。体育館の端からでも「先生,とべたで!」という喜びの声は聞こえてくるのです。

「がんばったら報われる」なんていうことを気軽に口にできるほど,世の中は簡単じゃありません。
でも,少なくとも小学校の体育でとび箱に向かうときぐらいは,「正しい努力を続ければ,とべるようになるんだ」と感じさせてやりたいと思うのです。

(チーム競技とは異なり)個人の努力がそのまま結果につながること。
その「結果」は,「とべた・とべなかった」のどちらかしかないこと。

やっぱりとび箱は,私にとってのモンスターボックスです。




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2012年1月23日月曜日

新年恒例の「今年の目標」に一言。

「年の初めのためしとて…」

2012年の学級だよりは,そんなタイトルで始まりました。
一年の幕開けというのは不思議と力が湧いてくるものです。「よし,今年はこれをやろう」と一念発起した経験は誰にでもあるのではないでしょうか。
そんな心機一転ムードに乗じて,小学校でも「今年の目標」なんかを書かせます。今回はそんな「今年の目標を書かせる」ということについて書いてみました。


★以下 平成24年1月13日学級だより「すきやき」より★


タイトルを見て,あのメロディーが頭に流れる人も多いのではないでしょうか。
元旦の「かくし芸大会」という番組で流れていた曲です。2010年の元旦を最後に放送を終了したそうですね。

実は私,この「ためし」を「試し」だと思っていました。「年の初めに(自分の芸を)試して…」という意味だと思っていたのですが,ちょっと調べてみると全然違うことがわかりました。
この「ためし」は「例」だというのです(「宝くじなんて当たったためしがない」と同じ「ためし」です)。「例」は先例や前例のことを指すので,「年の初めのためしとて」は「年の初めの先例として」という意味になります。今風に言うと「年始ってのは昔から同じような感じでさ…」というところでしょうか。

学校で「年の初めのためし」といえば「今年の目標」です。
さらに「学年の初めのためし」として「○年生の目標」,「後期の初めのためし」として「後期の目標」という具合に,そのつど新しい目標をたてるわけです。

これってちょっとヘンだと思いませんか? 

「○年生の目標」が,ある学年全体を通しての目標だとすれば,「後期の目標」はその学年の後半の目標になります。そのとき「○年生の目標」はどうなってしまうのでしょう。さらに1月になれば「今年の目標」です。「○年生の目標」や「後期の目標」の振り返りもまだなのに…。そうして「今年の目標」を立てて3か月もすれば進級して,そこでも「○年生の目標」をたてるのです。これでは目標のうえに目標が重なる一方で,振り返ろうにも「どの目標を振り返ったらいいの?」と混乱してしまいそうです。

でも,せっかく新年を迎えたのだから,やっぱり新しい気持ちで仕切りなおしたい。というわけで今回は「今年の目標」ではなく「新年の誓い」ということにして,4年生になった自分の姿を想像して「3月までにできるようになりたいこと」や「3月までつづけたいこと」を書くように言いました。3ヶ月という期間限定の目標にすることで,ちょっと難しそう…という目標にチャレンジしてみようという作戦です。
     宿題をわすれないようにする。
     全部の時間にかならず1回は手をあげる。
     漢字テストでいつも100点をとる。
千里の道も一歩から。
3ヶ月の道のりも一週間から。

予定表の≪今週の目標≫欄を空白にしておきました。子どもたちがそれぞれの3ヶ月後を目指して,それぞれの≪今週の目標≫を書き入れるためです。毎週金曜日,予定表を持ち帰ったら右上の≪今週の目標≫にもご注目ください。


★補足★


読み返してみると,「そんなに堅苦しく考えなくても…」と思わなくもないですが…。

「一年の始まりに『今年は○○な年にしたいなあ』と考える」ことが無駄だとは思いません。かと言って,営業ノルマさながらに「△△までに××を達成する」という目標をたてろと言うわけでもありません。

ただ,限られた時間を無駄に費やしたくないだけです。

新学習指導要領の実施以前から,授業時間の確保は喫緊の課題です。限られた授業時間を割いて「今年の目標」なるものを書かせるのであれば,それなりに意味のあるものにしたいと思うのです。

意図もなく,それこそ「年の初めのためしとて」今年の目標を書かせ続ければ,子どもたちは「なんだかわからないけど,こう書いておけば大人は満足なんでしょ」という”上手な”目標の書き方を覚えるだけじゃないの? 
そんなことのために,貴重な時間を費やすの?

新年早々,そんなヒネくれたことを考えていましたとさ。





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2012年1月16日月曜日

2011年の終わりに

とっくに2012年は始まっていますが,今さら年末の話題です。
「一年を振り返る」というと,一般的にはその一年間の大きなイベントや事件を振り返って「ああ,こんなこともあったなあ」という感じですよね。もちろんそういう振り返りも大切だと思います。
でも,せっかく学校で「一年を振り返ってごらん」と言うからには,こんなことも考えさせたいなあと思って書いたおたよりです。


★以下 平成23年12月22日学級だより「すきやき」より★


4月にスタートして,9か月が過ぎようとしています。2011年の終わりも近づき,子どもたちも私もひとつの節目を迎えます。振り返ると,あっという間の9か月間でした。

子どもたちに,2011年の思い出を尋ねると,運動会や学習発表会,縦割り遠足というような行事を挙げます。多くの時間を費やして準備を重ねたり,緊張で眠れない前夜を過ごしたり,あるいはこれまでに無かったような経験をしたりと,行事を通して子どもたちが得るものがそれだけ大きく,鮮明に残るからでしょう。そういう大きな行事で,子どもたちがいつも以上に多くを学び,ぐっと成長することは事実です。

それだけに,私たち教師はつい学校行事に頼ってしまうところがあります。「みんなで協力して○○を成功させよう!」「もう少しがんばれば○○だ!」というように,ひとつずつの行事を「協力する目的」や「努力する目標」にしてしまうのです。では行事がないときは,協力しなくていいのでしょうか。がんばらなくていいのでしょうか。
もちろん違います。本来なら,1時間1時間の勉強や休み時間での友だちとの関わり,給食など,学校で過ごす全ての時間で,子どもたちは協力することや努力することを学んでいきます。そうして高めた力を発揮する場として,行事があるのだと思います。行事のあるなしに関わらず,いつでも仲間と協力し,いつでも努力できる人であってほしいと思うのです。

1年間の行事の多くが終わったこの時期,私がいつも気にしていること。それは,子どもたちが,大きな行事だけでなく,普段の学校生活の積み重ねの中で成長してきたことを自覚できているか,ということです。「学習発表会で○○をがんばった」「運動会で○○ができるようになった」という短期間での成長だけでなく,「3年生になっていつのまにか○○がうまくなった」とか「2年生のときにできなかった○○が今年はできるようになった」というような,長い時間をかけた自分の成長を見つけられるようになってほしい。そうやって自分自身の成長を(どんなに小さなことでも)発見できる力,それがこれからの人生を豊かに生きぬく力のひとつだと思うのです。そんなことを考えながら,これまで指導してきました。

お正月に家族でゆったりと過ごしながら,前の1年間で自分が成長したことや,新しく学んだことを「家族の10大ニュース」として競い合うのも面白そうです。

どうぞよいお年をお迎えください。


★補足★


ちなみにこの「家族の10大ニュース」,私の実家では今でも毎年行っています。5人家族がそれぞれの思う「我が家の10大ニュース」をノミネートし,互いに投票し合いながらその年のベストテンを決めるのです。
具体的には「A太郎,○○のコンクールで銅賞!」とか「B次郎,国語のテストで初めての100点!」というように,それらしい見出しを書いて話し合うのですが(紅白歌合戦を見ながら),これはこれでなかなか面白いものです。
今年の年末には(12か月も先の話ですが),ぜひ試してみてください。







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2012年1月5日木曜日

新・係活動

あけましておめでとうございます。

みなさんは,小学校の頃,どんな係をしていましたか? 私は不真面目な小学生だったので,係の仕事をすっぽかして外に遊びに行っていました。それでも必ずどこかの係に入って(入らされて?)いたことだけは覚えています。

以前,そもそも係活動ってなんのため?ということを考えて,係活動まっさかり!という記事を書きました。9月の記事ですが,6月ごろのおたよりに載せた文章です。それから半年が経ち,係活動のあり方について考え直す機会がありました。


★以下 平成23年12月16日学級だより「すきやき」より★


係活動については,6月ごろに一度ご紹介しました。そのときは,係(学級を楽しくする仕事)と当番(学級に必要な仕事)の違いや,「こうすればもっとみんなが楽しくなるにちがいな い」という工夫こそ係活動の真骨頂,ということを書きました。それから半年――。
活動が停滞してきた時期を見計らっては係を再編し,何度目かの新しい係活動を始めて一週間後のことです。ひとりの子どもがこんなことを言いにきました。

「係を決めたばっかりだけど,○○係に替えたらだめですか?」

「何かいやなことでもあった?」

「そうじゃないんだけど…,○○係なら□□もできそうだし…。」

何年か前の私なら「一度自分が決めた係なんだから,最後までがんばりなさい」と言っていたでしょう。確かに「自分の決めたことを最後までやり通す」ことは大切です。でもそれって,私の考える係活動の目標とは違うんじゃないかな,と思うようになりました。

私は「係活動では,みんなを楽しませたり,過ごしやすくしたりする工夫をしよう」と伝えてきました。子どもが「仲のいい友だちが○○係にいるから」とか「△△係に飽きたから」ではなく,「○○係にいけばもっと学級を楽しくできそうだ」と考えているのであれば,「それでも我慢してがんばりなさい」と言うよりも「○○係で思い切りやってごらん」と言う方が,よっぽど係活動が充実するのではないかと思うのです。

結局,その子には少しだけ待ってもらって,係活動のルールを大幅に変えました。

・ 誰でも,好きなときに係に入ったり抜けたりすることができる。

・ 誰でも,好きなときに新しい係をつくることができる。

円滑に進めるための細かいルールはいくつかありますが,大きな変更はこの2つです。いつでも係を替えられるように,自分のしている係活動をポスターではなくマグネットで掲示できるようにしました。

さてどうなるかな,と思いながらスタートしました。折しも今週末には「パーティー係」が主催したクリスマスパーティーがあります。いま最も旬なこの係には,8人が関わっています。クリスマスパーティーが終わった後にどうなるか,それも楽しみですね。

せっかくですので現在の係をご紹介します。名前だけ見ていると「なんじゃそりゃ」と思うものもありますね。詳しい活動は,子たちに尋ねてみてください。

・ あそび係
・ 人形げき係
・ たんじょう日係
・ 3D紙しばい係
・ キラキラ係
・ 音楽係
・ ものまね係
・ パーティー係
・ 理科係


★補足★


今さらなんですが,学習指導要領には何と書いてあるのか,ふと気になりました。
(イ)係活動
係活動は,学級の児童が学級内の仕事を分担処理するために,自分たちで話し合って係の組織をつくり,全員で幾つかの係に分かれて自主的に行う活動であり,児童の力で学級生活を豊かにすることをねらいとしている。したがって,設置する係の種類や数は,学年や学級によって異なるので,児童が十分に創意工夫して計画し活動できるよう適切に指導することが望まれる。
「学級内の仕事を分担処理するために……行う活動」というのが少し気になります。ただ「児童の力で学級生活を豊かにすることをねらいとしている」 ということなので,目標としているところはそう間違っていないようです。ホッとしました。

もう少し読んでいくと,「発達の段階に即した指導のめやす」ということで指導の参考例が載っていたので,これも引用しておきます。( )は原文の脱字を補ったものです。
<中学年の指導> 
低学年までの係活動の経験を生かして,創意工夫を加えて活動に取り組めるようにする。また,低学年の係活動には,当番的な活動内容が残っていることもあ(る)ことから,中学年において,それらを整理統合して,児童の創意工夫が生かせるような係活動として組織できるよう配慮する。また,集団の意識も強まり,継続的に仕事を進めることができるようになるので,協力して,計画的に活動に取り組めるようにすることが大切である。さらに,それぞれの係がその活動を独自に進めるだけではなく,活動の計画や悩みなどを学級会の議題とし,お互いの意見や希望を聞くようにして,係活動の改善に取り組めるようにするなどして,協力し合って楽しい学級生活をつくるための係活動として取り組むことができるように適切な指導をすることが大切である。
なお,係活動を活発にするためには,係活動の連絡や発表の機会を朝の会や帰りの会など多様に設けることが効果的である。
改めて読むと,中学年においては「計画的に取り組むこと」や「係ごとが互いに協力し合うこと」なども指導していく必要があるようです。まだまだ先は長いですね。
最後の一文については少し書きたいこともあるのですが,愚痴になってしまいそうなのでここではやめておきます(笑)。





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2011年12月20日火曜日

「教室はまちがうところだ」なんだけど

何かの学習問題に取り組かかるとき,人がもっとも成長する瞬間はいつだと思いますか。

1,問題に出会うとき
2,答えに近づこうとするとき
3,答え合わせをするとき

1,2を大切にしたうえで,という前置きはつきますが,私は「3,答え合わせをするとき」がとても大切なのではないかと考えています。
この週はそんな「答え合わせをするとき(した後)」の中でも「まちがえたとき」に,そこから何をどう学ぶかということについて指導していることを書きました。


★以下 平成23年12月9日学級だより「すきやき」より★


先日の学習発表会で,2年生の発表した群読の中に「教室はまちがうところだ」がありました。原文は2004年に発売された絵本です。教師をしていると,どこかで一度は出会う本ではないかと思います。私自身,何度も読んで,子どもたちを励まし自分を励ましてきました。

この「教室はまちがうところだ」ですが,私が子どもたちに話すときは,もう少し付け足しています。

誰にだってまちがえることはある。まちがえてばかりでもいいじゃないか。
だけど,次にまちがえないように考えたり練習したりすることが大切だ。

簡単に言うと「まちがいをそのままにしたらいかん」ということです。例えば宿題の漢字練習。

4月当初,多くの子どもたちにとって宿題の直しは「ついで」でした。
今日の宿題を終えてから,前日の宿題に貼られた付箋を見て「どれ,直しでもするか」と始める子どもはまだいい方で,私がいくら付箋を貼ってもどんなにお手本の字を書いてもほったらかし,という子どもがたくさんいました。あの手この手で子どもたちに言い聞かせ,直しをしている人が次はまちがえずに書けるようになった様子を見せ,それらを何度も繰り返しながら,ようやくほとんどの子どもが当たり前のように直しをするようになりました。

また,直しの仕方についても指導してきました。私は「ここ,まちがってるよ」という印に,×ではなく線を引きます。ところが「ここを直さなくちゃいかんのだな」と理解した子どもは,おもむろにゴシゴシと消し始めるのです。どこがまちがっているのかお手本と見比べたり,まちがいを探したりすることなく,とりあえず消すのです。これでは次に同じ字を書くときに「○○に気をつけて書こう」というような成長はありえません。同じように何度も何度も言い聞かせ,実際に直しをする様子を見せ,どこがまちがっているかを尋ねているうちに,ようやく消す前に考えられる子どもたちが増えてきました。

毎日欠かさず出している宿題ですが,「前日のまちがいを直す」→「まちがいに注意して今日の宿題をする」という学びのステップを身に付けるのにここまでかかりました。時間はかかりましたが,まちがいなく子どもたちは意味のある宿題ができるようになっています。

次なる課題はテストの直しです。
学校で実施したテストは,返した後すぐに直しをして提出するように指導しています。全員が直しをする時間が学校で確保できる場合はいいのですが,そうでないときもあります。子たちが持ち帰ったテストに直しの跡がないときは,

次にまちがえないようにすることが大切だ 
by田中先生

と声をかけてあげてください。お願いします。


★補足★


かつて,高校時代の数学の先生は,こんなことを言っていました。

「問題集を買うときは解答を見ろ」

答えだけを羅列してあるような問題集は買うな。解説が詳しく載っているものを選べ。例えばこういうものだ。
そう言いながら彼が取り出した某問題集は,解答・解説だけで本全体の半分の厚さを占めていました。問題のひとつひとつに対して驚くほど丁寧に解説が加えてあり,つまづく者を見事に正解へと導くものでした。その本を手にして以来,私は問題につまづいたときに「こんなん,どうしたらええねん」と思いながら解答・解説を開くのが楽しみになっていました。

子どもたち失敗やつまづきを楽しめとは言いません。「失敗は成功のもと」と言うように,「間違えたときこそ賢くなるチャンスだ」ということを伝えたいのです。失敗や間違いを「消しゴムで消して,なかったことにしてしまう」のではなく,「どこが違うんだろうか」と向き合える人になってほしいと思うのです。

その大前提として,「まちがいを大切にできる学級」が重要なんだと思います。そのあたりの取り組みについてはまたの機会に(最近,このパターンが多いな…)

教室はまちがうところだ」,お読みでない方はぜひ。




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2011年12月12日月曜日

褒める,認める,価値づける

あなたは,褒められて伸びるタイプですか? それとも叱られて伸びるタイプ?
私は,同じだけ伸びるならできれば褒められたいと思っているタイプです(笑)。

ところで「じゃあどう褒められたいの?」と聞かれると,これはなかなか難しい。同じことばかり褒められていると「それしかないのか私…」と思ってしまいそうだし,あからさまに「スゴーイ!」なんて褒められると「どうせお世辞やろ」と斜に構えてしまいそうです。

この週は「褒める」について考えていることを書いてみました。


★以下 平成23年12月2日学級だより「すきやき」より★


子どもの力を褒めて伸ばそう――

子育てに関わっていると,何度となく耳にするフレーズです。
確かに,誰だって褒められて嫌な人はいません。ところが実際には「褒める」って難しいですよね。

「良いところを褒めたくても,悪いところばかりが目につく」

「褒めようにも,いつも同じことばかりで,他に褒めるところがない」

そんな声があちこちから聞こえてくるようです。私も子どもたちと向き合いながら,絶えず悩んでいます。そこで,「最近,怒ってばっかりだなあ」と思うときには,こんなことを心がけています。


結果ではなく,過程を褒める。
「上手に書けた(描けた)ね」とか「友だちと仲直りできたね」というように,「書けた」「仲直りできた」という結果ではなく,「書こうとしている」「仲直りしようとしている」という姿勢(過程)を褒めるということです。
「上手に書く」「仲直りする」という姿勢が見える場合はもちろんですが,「集中している」とか「計画的(積極的)に取り組んでいる」ときも「いい字が書けそうだね」「うまくいきそうだね」と褒めることができます。


当たり前のことを褒める。
「自分のはいたスリッパを並べたんやね」とか「廊下の右側を落ち着いて歩いているね」というように,「できて当たり前のこと」をあえて褒めるということです。「赤信号を無視しないで止まれたね」というのと同じです。子たちから「いや,そんなん当たり前やん」と返ってきそうですが,そうなればしめたもの。「決まりだから守る,ではなく自分で『当たり前やん』と思っているのが立派やなあ」と,さらに褒められそうです。


上に書いたことは2つとも,「褒める」というよりも「認める」という感覚に近いかもしれません。教師同士では「価値づける」と言ったりもします。「本人は何とも思わずに(当たり前に)していること」を「実は大したことなんやで」とか「結構すごいことなんやで」というように認め,価値をもたせるということです。
そのために私がよく使う言葉が,「それ,いいね」です。

休み時間にリコーダーの練習をしている姿に「それ,いいね」
今から練習が始まるぞ,と集中している姿に「それ,いいね」
自分の伝えたい言葉を,何度も繰り返す姿に「それ,いいね」
眉毛の上げ下げや口の開き方を確認する姿に「それ,いいね」
舞台裏での「やるぞ」と引き締まった表情に「それ,いいね」 

なんだかいい発表になりそうだぞ。
学習発表会本番前夜,こんなことを考えていました。


★補足★


私の勤務する小学校では,毎週金曜日に翌週の予定表(時間割)と学級だよりを両面印刷で配布します。したがって学級だよりを書くのは遅くても木曜日です。この週は,金曜日が学習発表会という日程でした。いよいよ明日は学習発表会,という日の晩に書いたおたよりを,学習発表会終了後に保護者が読むわけです。

学習発表会終了後に配るおたよりなんだから…と,つい書いてしまいそうになるのが「学習発表会,大成功!」という類の文章です。私は以前書こうとしたことがありますが,書き進めていくうちに,本番での子どものがんばりや,そのときの表情,終わった後の子どもの言葉を書こうというときになって初めて「これは無理だ」と思いました。
以後,「木曜日の晩に書くおたよりには,木曜の晩に書けることを書こう」と割り切れるようになりました。こうやって活字にするとびっくりするぐらい当たり前なんですけどね。


それはともかく,今回書いたものを改めて読み返してみると,「褒める」という行為のおこがましさや危うさのようなものを忘れてはいかんな,と感じます。「褒めてあげる」とか「認めてあげる」というような態度は,子どもはすぐに見抜くでしょう。

どう褒められるかよりも,何を褒められるか。

誰に褒められるか(何を大切にしている人に褒められるか)。

そういうことをもうちょっと考えてみようと思います。続きは別の機会に…。





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