2011年11月28日月曜日

「黒人は貧しい生活をするべきだ」

タイトルに嫌悪感を覚える人は多いでしょう。明らかに人種差別的な意見です。
ではこれはどうですか。
「男はたくましく,包容力があるべきだ」
「女は優しく,献身的であるべきだ」
タイトルとこれらの言葉。その根底にある考え方は同じではないかと私は考えています。

私の勤務する自治体には,人権月間というものがあります。それを受けて小学校でも「人権に関わる授業参観」や「人権啓発懇談会」が行われることが多いようです。この週はちょうど人権に関わる授業および懇談会が行われたこともあり,学級だよりにこんなことを書きました。


★以下 平成23年11月18日学級だより「すきやき」より★


火曜日の授業参観は,道徳の時間をご覧いただきました。子どもたちが,それぞれのもつ道徳心や正義感に照らし合わせ,自ら感じたことを一生懸命伝えようとする姿が印象的でした。

放課後の懇談会は「心豊かな子どもを育てるために」というテーマで行いました。
「心豊かな人」と簡単に言うけれど,それってどんな人だと思いますか?という問いに,色々なお話を聞かせていただきました。特に多かったのは,「ありがとう」「きれいだね」「おいしかった」「ごめんね」というように,周囲との関係の中でさりげなく相手を気遣える人,時間的にも心理的にもゆとりがある人。そんな姿に心の豊かさを感じるというご意見です。「そうは言っても,自分自身,心にゆとりがあるとは言えないんですよね」という保護者の方のお話に,一同が思わず「ウンウン!」とうなずいてしまう様子が印象的でした。

今回の懇談会では「心豊かな子ども」の姿を男女平等教育の観点からお伝えしたいと考えていました。「女性は虐げられている!女性の地位向上を!」というスローガンを教えることが男女平等教育ではないと思うからです。懇談会に参加いただいた方には,ちょっとしたアンケートに答えていただきながら私の考えをお聞きいただきました。口下手なうえに説明不足なのでうまく伝えられたか自信がありませんが,私が言いたかったことは,乱暴に言えばこういうことです。

★★
男とは……たくましい,力がある,包容力がある,涙を見せない,大胆な決断を下す,大食い
女とは……優しい,かよわい,守ってもらう,涙を武器にする,細やかな心遣いをする,少食
こういうイメージをもって,「男はこうであるべきだ」「女はこうであるべきだ」と伝えることと,

黒人とは……運動神経が高い,貧困層が多い,犯罪と関わる,肉体労働に就く,住環境が悪い
こういうイメージをもって,「黒人はこうであるべきだ」と伝えることは同じではないか。


「黒人は劣悪な環境に住むべきだ」などと言うのは間違っているのと同じように,「男は涙を見せてはいけない」とか「女は細やかな心遣いができなくてはいけない」と言うのも間違っていると思うのです。
実際に私たちが「メソメソ泣くな,男の子でしょう」とか「もう少しきちんとした字を書きなさい,女の子でしょう」というときには,「男だから涙を見せてはいけない」「女だから細やかな心遣いができなくてはいけない」というように男女を強調したいわけではありません。本当に伝えたいことは,「泣かないで何が嫌なのかはっきり言いなさい」とか「もう少しきちんとした字を書きなさい」ということだけです。だとしたら,「男の子でしょう」「女の子でしょう」の一言は余計なのではないでしょうか。

★★

懇談会の後半,ご参加いただいた方にアンケートを書いていただき,それを片手に聞いていただいたことは,こんな話でした。


男だから○○でなくてはいけない。女だから○○でなくてはいけない。そういうことを言わずにおこう。そんな硬い考えを子どもたちには伝えたくない。そんなことをずっと考えていくと,身の回りには気になる言葉がたくさんあります。

レディースランチ(レディースセット)……女の子はみんな少食(甘いもの好き)でなくてはならないの?
草食男子(恋愛に積極的でない男性)……男の子はみんな恋愛に積極的でなくてはならないの?
男女(という言葉)……男の子が先で,女の子は後でなくてはいけないの?
これは,あくまでも私個人の考えです。ご参加いただいた保護者の方は,最後までじっくりと話を聞いてくださいました。賛成とか反対とかではなく,私の考えにうんうんと耳を傾けてくださいました(私はこれこそが「心豊かな人」の姿だと思いました!)。いただいた感想の一部を紹介いたします。

今日の話を聞いていると,今年の運動会の組体操を思い出した。男子は全員で高いタワーを組んだが,女子は小さいタワーを組んだだけだった。子どもたちは「女の子は小さいタワーを組まなくてはならない」と学んだのではないかと思うと残念だ。 

帰ってから,組体操のことを子どもに聞くと「なんで女の子のタワーはないんだろうって思った」と言っていた。子どもの方が敏感に感じているようだ。組体操には毎年感動するが,取り組む子どもにとってもより良いものになってほしいと思う。 

アンケートで色々な言葉があったが,それらの言葉を「う~ん」と思うことが多い人は「別にええんちゃう?」と思う人から見れば「細かい人」に映るようだ。感じ方の違い,価値観の違いとは難しいものだと思う。

ご参加いただいた保護者の皆様,本当にありがとうございました。


★補足★


今読み返しても,学級だよりに載せるにはちょっと挑戦的過ぎたかなという気がします。ただ,ここに書いてあることは,うそ偽りのない私の考えそのものです。

ある人間を,その人のもつ属性(肌の色,国籍,性別,職業,出生地,干支,血液型など)によって判断する(決めつける)ことが,差別の根幹ではないか。だとすれば,目の前の子どもたちに「男は○○だ」「女は○○だ」ということは,「朝鮮人は○○だ」「部落出身者は○○だ」と言っているのと同じではないか。
子どもを教え導くことを生業とするのであれば,そういう感覚を絶えず磨いておきたい。そんな風に考えています。

そのほか,男女平等・人権に関する記事は以下の通りです。

おんなの腐ったやつ
http://tanakasensei.blogspot.com/2011/11/blog-post_14.html

トイレのサンダル
http://tanakasensei.blogspot.com/2011/09/blog-post_22.html

だれのしごと?
http://tanakasensei.blogspot.com/2011/09/blog-post_16.html


ご意見お待ちしています。



★補足2★


本記事内に,「黒人」「朝鮮人」「部落出身者」と言った言葉を用いています。これらの言葉そのものに悪意があるのではなく,どういう文脈で使うかが重要だと考えて,あえて使わせていただきました。
しかしわたしは,これらの言葉が悪意とともに使われてきた歴史的経緯から,言葉そのものに嫌悪感を抱く方も多いだろう,ということに思い至りませんでした。
気分を害された方にお詫び申し上げます。




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