2012年2月27日月曜日

いじめが始まるとき その3

「いたずらのつもりがついやりすぎて…」
「遊びがエスカレートして…」

その結果,「遊び」や「いたずら」じゃ済まされないような状況になることがあります。
ひとつずつの行為を「これは〇,これは×」というように仕分けすることはできません。かといって「自分がされて嫌なことは,友だちにもしません」と言い聞かせたところで,子どもにとっては「そんなこと,わかってる」のです。

むしろ,大人が「いたずらが過ぎた」「遊びがエスカレートした」と判断し,「いたずらにも程がある」「遊び方を考えなさい」と指導することで,子どもに「いたずら(遊び)の延長」という免罪符を与えてしまっているのではないか。

前回の記事ではそんなことを書きました。


私自身,これまで幾度となく同じようなやりとりをしてきました。そして,遊びをエスカレートさせてしまった子どもに「○○してごめんね」と謝らせることでその場を取り繕ってきたのです。しかし,そのような指導について考えさせられる出来事がありました。



仲の良い3人組のひとり(C)が,泣いていました。
他の2人(A,B)が遊びをエスカレートさせてしまったのが原因です。もちろんそれはAとBにとっても「自分がされたら嫌なこと」。それでも2人には,Cの「やめて」という訴えが届きませんでした。

Cが私に訴えたことで,AもBもようやく気がついたのでしょう。すぐに「ごめんね」と謝りました。

「ごめんね,はもちろん大切なんだけど…」

2人とも反省している様子なので,少し聞いてみることにしました。

「あなたたちは自分がされて嫌なことを友だちにするの?」

「…しません」

「でも,今回はしちゃったわけだ。どうしてなのか考えてごらん」

我ながら難しい問いです。
しかし,2人のうちの1人が,少し考えてからこう言いました。

「楽しかったから」

その言葉を聞いた瞬間,むくむくと怒りがこみ上げてきました。
「友だちの嫌がることをしておいて,楽しいとは何事か」
そんな言葉が喉元まで出かかったとき,「待てよ」と思ったのです。

その「楽しい」こそが,常識を狂わせているのではないか。
その「楽しい」こそが,「自分がされて嫌なことは,友だちにもしません」という当たり前のことを忘れさせてしまっているのではないか。

だとすると,子どもたちが学ぶべきことは「○○してはいけません」ではありません。

「自分にとって『楽しい』は,他の人にとっても『楽しい』だろうかと考える」

「自分が『楽しい』と思っているときは,他の人の気持ちに気がつきにくい」

そういうことを学ぶべきではないでしょうか。



そんな風に考えて書いたのが,前々回の記事「いじめが始まるとき その1」でした。



★★



2週にわたって書いてきた「いじめが始まるとき その1」の補足は,これで終わりです。

もちろん,これ以外にもいじめが始まる瞬間はたくさんあります。もっとドロドロした悪意ある「いじめの始まるとき」に比べれば,「遊びの延長」なんて可愛いものかもしれません。

しかし。

「遊び」「楽しい」「冗談」「ふざけ」
そんな言葉の陰で誰かが心を痛めているとしたら。

その「誰か」が周囲の雰囲気に気を遣う(空気を読む)あまり,心の痛みを口にできないとしたら。

その結果,本人の意思とは無関係に「ヤラレ役」「いじられ役」などという役割を背負わされるとしたら。

傍目にはごく自然な形で,静かに,いじめが始まっているのではないでしょうか。






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6 件のコメント:

  1. 深いね。
    「自分が『楽しい』と思っているときは,他の人の気持ちに気がつきにくい」
    これはとても高度な思慮だと思います。
    大人でもなかなか気づかない鋭いポイントで、
    本当に素晴らしい教えと思います。
    思いやりを育むのに効く気がします。

    奥深い仕事だね。
    これからもお体に気を付けられて頑張ってください。

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    返信
    1. semperさま
      コメントありがとうございます。
      かしこまるのもアレなので,できるだけ自然に…。

      「自分が『楽しい』と思っているときは,他の人の気持ちに気がつきにくい」
      などと言うものの,実際には他を顧みることができないほどのめり込んでいる様子を「夢中だ」とか「熱中している」と言うわけで。それはそれで決して悪いことではないんですよね。

      「夢中になること」と「冷静に周りを見渡すこと」
      矛盾するこの2つがそれぞれに重要なのかな,と。

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  2. 1の記事を読んだ時、2の記事の後半に書いてあるように、
    "嫌な思いをさせてるとわかってて楽しんでいる"の場合が怖いと思いました。

    嫌な思いをさせたらいけない

    と理解できていてもする。
    ということは、言い訳があるからなのかなぁ。

    痛がってる、いじられてるのがおもしろいのは、
    その人がそうされても仕方ない
    とか、
    ざまぁみろ
    とか、そういうふうな気持ちがあるのかもしれない。

    実は、嫌な思いをしてる人に対して、面白いと思う側の人が
    伝えようとしてない思いがあるかも。
    笑ってやって、ごまかしてるのかも。。

    難しいです。

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    返信
    1. Chieさま
      コメントありがとうございます。

      「嫌な思いをさせてるとわかってて楽しんでいる」
      まさにいじめの典型だと思います。人間の心の醜さが滲み出ているようなところに怖さを感じます。

      今回の「いじめが始まるとき」では,そういった悪意あるいじめではなく,もっと"軽い"いじめについて考えました。
      あえて"軽い"と書きましたが,実際に心を痛めている人にとっては重いも軽いもありません。それを大人が「遊びの延長」「いたずらが過ぎた」→「謝りなさい」と"軽く"処理することで,子どもに「遊びの延長ならいじめではない」という理屈を(期せずして)教えることになりはしないか。
      そのあたりが教師として子どもの前に立つ「怖さ」のひとつだと思います。


      「痛がってる、いじられてるのがおもしろいのは…」と書かれていますが,今回の記事では全く触れることのできなかった視点ですね。一度じっくり考えてみようと思います。

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  3. ミクシィより。
    昔、あらゆる方面からのいじめられ経験のある私です。
    どうやらすぐムキになるのが面白いらしいです。多分やった方は覚えてないの多いんだろうな~。

    いじめってやる方は楽しそうだよね。そしてあの普段は無い団結力の高さと言ったら!
    あの、友達との秘密や連携プレー等のまとまり感がなお楽しいんじゃないかな。

    一番ひどかった小6の時、最後ボスがみんなから仕返しを受けました。
    私は自分が受けた思いを他の人にするのが嫌で一人でボスと一緒にいました。(わー偽善者っぽくて嫌な感じ!)
    一番いじめられていた友達(私は2番目)に、数年後に何であんなことしたのかと聞くと「いつも自分がされてたことができて楽しかった」と言っていてショックでした。
    ちなみにすごく心の優しい子。

    「自分がされて嫌なことは人にしない」
    当たり前のことだけど、楽しさとか憎しみの前ではなかなか難しいんだと思います。
    子供は純粋に残酷なところがあるので、大人に介入って大事ですね。先生頑張って!親もだけど。

    いじめ経験ってその時は大きな心の傷になるけれど、経験として生かされることが多いのでは。
    現在ボスは教員、一番の苛められっ子は小児科看護師、話に出てこないけど小3の時のジャイアンは養護学校教諭です。

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    1. まゆさま
      コメントありがとうございます。

      実際のご経験から出てくる言葉には力がありますね。自分をいじめている人が「楽しそう」だったというその状況で,いじめられている人はいったいどんな心境なのだろう,と考えながら読んでいました。

      「いつも自分がされてたことができて楽しかった」と聞いてショックだったというように,正常な思考ができている状態であれば,誰かを傷つけて楽しむことの異常さに気づくはずです。あるいは正常な思考を妨げているものが「楽しい」という感情なのかもしれません。

      改めて「楽しい」という感情のもつ危険性について考えなくてはならないなと思いました。

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