2012年2月13日月曜日

いじめが始まるとき その1

いじめはいけない。いじめはダメなことだ。
そんなこと,誰だってわかっています。小学生に「いじめってどう思う?」と聞けば,「だめ!」とか「かっこ悪い!」というように,100%否定するでしょう。
それでもいじめはなくなりません。今回は「いじめはいけない」とわかっている子どもたちの中に,どうやっていじめが生まれるのか,そんなことを考えてみました。


★以下 平成24年2月3日学級だより「すきやき」より★


休み時間,子どもたちは色々に関わって遊んでいます。互いに手を抜いて押し合ったり,誰かを持ち上げて振り回したりというような「じゃれあい」や「悪ふざけ」もそのひとつです。

大きな怪我につながらない範囲で互いに楽しんでいる分には,特に問題になることはありません。どちらかが「やめてー」と言い出すか,誰かに「やめときや」と言われる頃には,そんな「じゃれあい」も終わりになります。ところがこの「やめて」の見極めが難しい。さっきまで皆が「楽しい」と思っていたわけですから,「やめて」が本気なのか,楽しさ半分に言っているのか,そこがわからないのです。

「何度も『やめて』って言ってるのに,どうしてやめてくれないの」

「え? 楽しそうにしてたやん。ホンマにやめてほしかったの?」

トラブルになってから改めて聞いてみると,こんなやりとりになることはよくあります。


やめてと言っている人に何かをし続けるのは間違っている。常識的にはそうです。しかし,実際には「やめて」の声が届かないことの方が多いのではないでしょうか。
それは,決して特別なことではありません。私たちは,テレビに出てくるお笑い芸人がひどい目に遭っている姿を見て「楽しい」と笑います。身近なところでは「いじられ役」という言葉があるように,仲間うちでも「他人にからかわれる人」の存在を暗に認めています。「○○はいじられ役だから」という言い方で,まるでその人が自ら好んで「いじられて(=からかわれて)」いるかのような言い方さえします。そんなとき,お笑い芸人やいじられ役の口にする「やめてくださいよ~」は,訴えなどではなく,見る者の楽しさを増すものでしかないのです。

お笑い芸人はそれが仕事ですし,そうでなくとも「いじられ役」と呼ばれることを嬉しいと思う人もいるかも知れません。しかし,当の本人が「楽しい」「嬉しい」とは思えないのであれば,それは単なるいじめです。いくら「楽しそうにしてたやん」と思っても,相手が同じように楽しんでいないのであれば,ただの嫌がらせです。

子どもたちは「自分がされて嫌なことは,人にもしてはいけないよ」と言えば素直にハイと言うでしょう。しかし本当に怖いのは「自分がされて嫌なことは,人にもしない」という当たり前のルールが,「楽しい」という感情の前では忘れられてしまうことがある,ということではないでしょうか。

★★

子どもたちに「楽しいって,怖いね」と話しました。するとある人がこんなことを話してくれました。

「私は友だちが『やめてー』と言いながら逃げているところを見て,思わず笑ってしまいました。今考えると,私も同じようにいじめてしまっているのかもしれないと思います。」

そのときの様子を思い出し,涙ながらに話す姿を見て「そういうことか」と思った人がいたようです。「同じように感じた人はいますか」と尋ねると,ちらほらと手が挙がりました。

「自分は外遊びのときに,友だちの失敗するところを見てみんなで笑ってしまっていたけど,その人がどう思っていたかはわからない。もしかしたら『嫌だなあ』と思っていたかもしれない。」

そうやって,自分のことに置き換えて考えている人もいました。

じゃれあいの遊びも本人たちが納得してこそ,です。「楽しい」の先にあるものが,ただの嫌がらせになっていないか,楽しいなあと思っているときこそ要注意なんやね,と話しました。




★補足★




記事のタイトルは【「楽しい」の先にあるもの】でした。
補足を書こうと思ったのですが,ちょっと長くなりそうなので続きます。




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