2012年6月19日火曜日

男の好きなもの 女の好きなもの

子どもたちが何気なく口にする「おとこもん」「おんなもん」という言葉。その裏側にある「ふつう」の感覚について,考えてみました。


以下 平成24年5月19日学級だより「にこにこにくみ」より★


学校ホームページにも掲載しましたが,「1年生を迎える会」でかぶってもらうための帽子を作って1年生にプレゼントしました。32個の帽子をダンボールに入れ,箱の外側に絵を描いたりしながらきれいに飾り付けているときのこと。(中間休みに教室にいた何人かの女の子が飾り付けをしてくれました。)

「男の好きなものが全然ないやん。女のばっかりやん」

そんな風に訴えているのは,できあがりつつあるプレゼントを一目見た男の子たちでした。

「男子の好きな絵とか描けへんもん。仕方ないやん」

「そんなん言うんやったら,自分たちで描けばいいやん」

休み時間に飾りつけをしていた女の子たちも,負けじと言い返します。

はじめに訴えた男の子にしてみれば,自分の好みではない絵で埋められたプレゼントに違和感を覚えたのでしょう。それをもらう側の1年生の男の子も,同じように感じるのでは…と思ったのかも知れません。
一方で,一生懸命描いた飾りつけの絵を見るなり「女の絵ばっかりや」と非難されてしまった子どもの気持ちもよくわかります。どちらも言葉が足りないのはもちろんですが,私がなるほどと思ったのは「男の好きなもの」「女の好きなもの」という言葉が子どもたちの中で共有されていることです。箱に描かれていたのは,鳥を模したキャラクターや,ハート,星などのマーク,おめでとうの文字などですが,これらを「女の好きなもの」と呼ぶことには誰も異を唱えないんですね。そこで,「男の好きなもの」「女の好きなもの」と題してクラスの子どもたちに尋ねてみました。

男の好きなもの:ワンピース,ライオン,ドラゴンボール,ドクロマーク,ボール,コーラ…

女の好きなもの:ハート,星,ゆるキャラ,ウサギ,ハムスター,フリル…

たくさん書いていくうちに,「ん?」と思う子どもたちもいたようです。気になったことを尋ねました。

「ワンピースが好きな女の子って,ヘン?」

「ハートや星のマークが好きな男の子は?」

すると「ヘンじゃないけど…少ない」との答え。ウンウンと頷く人もいました。
じゃライオンは?――男女関係ないやん。なるほど,コーラもだ。

ワンピースやドラゴンボールが好きな男の子や,ハートマークやゆるキャラの好きな女の子は確かに多いでしょう。
じゃあワンピースが好きな女の子やゆるキャラが好きな男の子は「おかしい」かというとそうではありません。それぞれに好みが違うなかで,たまたま同じ趣味の人が同性に少ないだけです。
ところが「ワンピースは男の子が好むもの」というのが当たり前のような雰囲気の中では,女の子が「ワンピースが好きなんだけど!」とは言いにくいでしょうね。私自身,小学生の頃に習い事を聞かれて「ピアノを習っている」とは言い出しにくかったのを覚えています。 

たくさんの人が「○○って普通だよね」「○○するのが当たり前だよね」と思っているすぐ近くで,「いや,私は違うんだけどな…」と肩身の狭い思いをしている人がいるかも知れない。「あいつはヘンだ」と思われるのが嫌で本心ではないものを仕方なく選んでいる人がいるかも知れない。そんなことを感じられる人であってほしいと思います。

みんなの考えている「普通」って,本当にそうだろうか。ときどき立ち止まって考えてほしい。

こんなメッセージを伝えた3時間目でした。ご意見・ご感想お待ちしています。


★補足★


何を細かいことを…と考える人もいらっしゃるでしょう。こういうことを切り出すと,「え,そんなこと聞くん?」と驚いた顔をする子どももいます。

この話題ひとつだけを取り上げれば,取るに足りないことかも知れません。
それでも,「こんなこと」の積み重ねが「それって本当に”普通”かな」と立ち止まって考えられる子どもを育てることにつながるはず…と信じてがんばっていますよ,というお話でした。



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2012年6月11日月曜日

ノートを隠す子ども

勉強している子どものノートを見ようとすると,さっと隠されてしまうことがあります。後から提出すれば見られるにも関わらず,です。
そこには,単に「恥ずかしい」というのとは少し違う子どもの気持ちがあるのでは,と考えています。


以下 平成24年5月12日学級だより「にこにこにくみ」より★


授業中,子どもたちに考えや感想,気づいたことなどをノートに書かせていると,ときどき,書いている端から筆箱や腕を使ってノートを隠そうとする人がいます。
図工などでは「完成してから驚かせたい」という気持ちから,まだ見ないでほしいと思って隠すこともありますが,ノートを隠す場合,それとは少し事情が違うようです。

腕をどかしてノートを見ると「ははあ,なるほど」と思うことがあります。子どもたちがノートを隠すのは,考えや感想などの書いた量が少なかったり,書いた内容に自信がなかったりする場合なんですね。つまり「こんなノートを見られたら,何か言われるんじゃないか」という不安があるから,見られないようにしているのでしょう。 

――「もっと書くことがあるでしょう」「よく考えてごらん」「しっかり思い出して」

子どもたちが「言われたくない」と思うのは,教師のこんな言葉でしょうか。私自身,思わず口をついて出てしまう言葉です。
しかし,考えてみれば,もっと書くことがあれば子どもは書いているはずです。
そもそも「どう書いていいかわからない」とか「何を書いていいかわからない」から筆が止まるわけです。それなのに「もっと書くことがあるでしょう」と言われたところで「え…(それがないから困ってるんだけど…)」と思うばかりですよね。 

はじめから完璧に自分の考えを書ける人はいません。
書いたものを教師や他の大人に添削してもらったり,書きながらアドバイスをもらったりして,考えや感想,気づいたことを上手く書けるようになるのが普通です。しかし,子どもが自分から抵抗なくノートを見せる(広げておく)ようになるためには,それまでの教師の声かけが重要です。先生に見せれば「なるほど,そう書けばいいのか」と思えるようなヒントがもらえるはずだ,という安心感があるからこそ,子どもは隠すことなくノートを広げて「教えて」のサインを送れるのだと思うのです。

子どもが私の前でノートを隠さず広げているかどうか。それは,私が子どもたちにとって安心して「教えて」と言える相手かどうかを示すバロメーターでもあるのです。

余談ですが,家庭訪問中,何人かの保護者の方から「宿題を見ているとつい口を出しちゃうんですよ…」と相談いただきました。
「『もっと丁寧に書いたら…』『もっとゆっくり読んで…』『この計算は前に習ったじゃない…』なんてことばかり言っていると,うちの子もイライラしちゃって…」という言葉を聞いて,ただただ頭が下がる思いでした。
本来であれば宿題は「学校で習ったことを自力で復習する場」のはずです。そこに何らかのつまづきがあるのなら,学校での学習が不十分だったと考えるのが当然です。そんな私の力不足をご家庭で補っていただくのはとてもありがたいです。しかし,それによって宿題を挟んだ親子の関係が互いにとって気持ちのいいものでなくなってしまうのであれば,やっぱりなんだか違うような気がするのです。
そんなときは,「うちの子,○○ができてるか心配で…」「先生,なんとかしてーな」と,遠慮なく担任までお寄せください。


★補足★


「余談」まで読むと,まるで「家で宿題を見てあげるときには,あんまり口やかましく言わないであげてね」とでも言いたいかのようにも読めてしまいますが,そんな意図は全くありません。

私だってもちろん,”丁寧でない”字を書く子どもや,なかなか筆の進まない子どもを目の前にすればつい口を出したくなります。それが自分の子どもならなおさらでしょう。もっとちゃんとやりなさいよ,と。

一方で,”ちゃんとやる”ってどうすりゃいいのさ?とか,書けと言われても何を書けばいいのかさっぱり…という子どもの気持ちもわかります。

だからこそ,少なくともプロの教師の端くれとして,「しっかり…」「ちゃんと…」「よく考えて…」と言うだけの”指導”はしたくない。子どもが出来ないでいることや困っていることを見定めて,それを解決できるような言葉がけができるようになりたい。そういう指導を続けることで,ノートを隠してしまう子どももいつか安心してノートを開いておけるようになるのではないだろうか。

そんな風に考えています。



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2012年6月5日火曜日

「こえをだす」

以前お伝えした学級目標「にこにこにくみ」について,どうしても保護者の方へお伝えしておきたいことがありました。


★以下 平成24年4月27日学級だより「にこにこにくみ」より★ 


先週から,この学級だよりの名前が変わりました。
「にこにこにくみ」は5年2組の学級目標です。多少強引な感じもありますが,子どもたちと話し合って決めた学級目標です。

「あきらめずに」「こつこつと」「なかまといっしょに」の3つは,子どもたちが「こんなクラスにしたい」と自分たちで思い描いた学級の姿を短くまとめて表現したものです。そこに,1つだけ私の願いを付け足しました。それが「こえをだす」です。


声を出すこと。
それはつまり「自分がどう思っているかを伝える」ということです。

一般的には「○○について考えたことを話してみよう」とか「○○についてどんな風に思いますか」という質問に対して,「自分はこう思っている」ということを指します。それはもちろんですが,私は「考えたけどよくわからなかった」「なんとなく,しか言えないけど…」というように「わからない」「途中まで考えた」ということも重要な「発言」だと考えています。

さらに子どもたちには,そういう色々な友だちの「発言」に対して
「自分もそう」
「なるほど」
「よくわからないんだけど…」
「聞こえないよ」
「自分とは違うな」
というように,反応することも重要な「発言」だよ,と言っています。
当然ですが,このような「声」を出そうとすると,まず人の話をきちんと聞いていなければできません。

大人でも,大勢の前で「わからないんだけど…」と声を出すのは勇気がいります。場の空気を読んで「わかったふり」をしてしまうこともあるでしょう。しかし学校の教室は,自分が学び,知ることに貪欲な空間であってほしいと思うのです。互いに信頼し合い「わからないよ,誰か教えて」「それってどういう意味?」と声に出す姿を,馬鹿にしたり笑ったりせずに尊重し合える“学び仲間”でいてほしい,そんな風に考えています。

ご家庭でもぜひ「『わからない』って言えてる?」「『もう1度言って』って声を出してる?」と聞いてみてくださいね。


★補足★


学校と言えば「手を挙げて発言する」とイメージする人が多いように,学校ではとりわけ「発言すること」が重要視されてきたように思います。

「○○のわかる人」
「ハイ! ハイハイハイ!」

というやりとりは,微笑ましい教室の原風景としてメディアなどにもたびたび登場します。
しかし,「教室では手を挙げて発言するものだ」というイメージと同じぐらい(あるいはそれ以上に)「わかった人が発言する」「よく発言する人は賢い」という”常識”が一般に浸透しています。
実はこのこと自体が,「たくさん発言する人」と「なかなか発言できない人」をつくりあげてしまう要因ではないかと思うのです。

発言とは「正しい答えを正しく話すこと」ではありません。「言葉を出すこと」です。
教師の質問に対して,「きっと先生はこういう答えを求めているんだな」と察した言葉だけが発言ではないのです。「先生,何を聞かれているかさっぱりわかりません」とか「たぶんこういうことなんだけどうまく言えません」というのも立派な発言です。
むしろ,30人以上も子どもがいれば,教師の質問に対してそういう発言がある方がよっぽど自然です。「何を聞かれているかわからない」と言った子どもは,質問をもう一度違う言葉で聞くことができるでしょう。「たぶんこういうことだろう…」と口に出した子どもは,発言が周囲に賛同されることで自信を得る場合もあるでしょう。

そんな機会を子どもたちから奪い,「わからないから黙っておこう」「自信がないから誰かに任せておこう」と思わせてしまっているのが,「わかった人が発言する」「よく発言する人は賢い」という ”常識” です。

そんな”常識”ヘンじゃないか。
誰だって自分が「わかった!」と言うために必要な発言をするべきじゃないか。

そんな思いで書きました。


「わかった人が発言する」「よく発言する人は賢い」という ”常識” についてはもう少し書きたいことがあるのですが,それはまた別の機会に。



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2012年5月28日月曜日

学級目標を決める

ひと月も前の話で恐縮ですが,学級目標を決めました。
「どんなクラスにしたい?」と尋ねて,子どもたちから出てきたたくさんの言葉を少しずつまとめ,ひとつの言葉にしました。それがこちら。


あきらめず
つこつと
なかまといっしょ
えをだす
にくみ



昨年度の「すきやき」以上に強引な気もしますが,そこはご愛嬌。
学級だよりのタイトルにすべく,デザインしました。
ちなみに最後の「こえをだす」だけは,私の願いです。それについては,今後の学級だより&補足でちょこちょこと書いていきたいと思います。


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2012年5月22日火曜日

「先生○○していいですか」

5年生の担任になってまず驚いたのは,そんな質問があまりにも多いことでした。


★以下 平成24年4月20日学級だより「にこにこにくみ」より★


子どもたちから,毎日聞かれます。

「先生,トイレ行っていいですか」

「先生,手を洗ってきていいですか」

「先生,もう始めていいですか」

「先生,パンを残していいですか」

私はできるだけ「どう思う?」と答えるようにしています。
質問した子どもは一瞬「へ?」という顔になって,しばらく考えたのちに

「今は…だめだと思います」

とか

「いいと思います」

というように答えます。そしてほとんどの場合,その判断は間違っていません。
もともと「先生,○○していいですか」という質問自体,いいか悪いかを尋ねているのではなく「本当はダメかなーと思うんだけど,トイレ行きたい…」という主張(あるいは懇願)を含んだものなんですね。
授業中にトイレに行ってもいいかと言えば答えはノーです。でも,どうしても我慢できない。授業を抜けることになってしまうけど,ちょっとトイレに行きたいです――。そんなささやかな望みに「先生のお墨付き」をもらうための手続きが「先生,トイレ行っていいですか」なんだと思います。

「○○していいですか?」「いいですよ」というお墨付きがもらえずに,「どう思う?」と聞かれた子どもは突然自分で判断することを求められます。

「先生,トイレ行っていいですか」

「どう思う?」

「…今はダメだと思う」

「授業中だからね,トイレに行っていい時間じゃないですね」

というように。
その判断は間違っていません。大正解です。しかしトイレは生理現象ですから,我慢ができないこともあるでしょう。そういうときは「(我慢できないので)トイレに行ってきます」と言うんだよ,と指導します。


ここまで読んでいただいて,「何をまどろっこしい…」「アカンもんはアカンと言わないと」と思った方もおられるのではないでしょうか。しかし私は,2つの意味でこの“面倒なやりとり”が大切だと思っています。
1つめは,ものごとを自分で判断できるようになるということです。「今はトイレに行ったらダメだと思う」「今は手を洗ってきてもいいと思う」という判断を自分で下し,それが教師に「うん,先生もそう思うよ」と認められることで,子どもは自らの判断力を磨き,自信を深めていくのではないでしょうか。
2つめは,自分の責任で行動するということです。自分の判断をもとに行動した以上「先生がいいって言ったから」「友だちがやれって言ったから」という言い訳ができなくなります。誰かの価値基準にただ従うのではなく,自分の判断で行動するからこそ,もしそれが失敗に終わったとしても他人のせいにはできないし,その失敗を見つめることが自分の成長につながると思うのです。


「○○していい?」「どう思う?」 ちょっと回りくどいですがご家庭でも取り組んでみませんか。


「5年2組学級だより(仮)」改め,「にこにこにくみ」のスタートから長々と書いてしまいました。おたよりに関することはもちろん,それ以外でもご意見・ご感想・ご質問をお待ちしています。どしどしお寄せください。


★補足★


これを書いてから1か月が経ちました。「先生○○していいですか」はずいぶん少なくなりましたが,それでもときどき

「先生,トイレ行っていいですか」

「自分ではどう思う?」

「え? あ…ちょっと我慢できないので行ってきます」

というやりとりがあります。子どもたちが自分の判断に自信と責任をもつようになるにはまだまだ時間がかかりそうですが,焦らず根気強く続けていきたいと思います。



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2012年5月15日火曜日

地金の表れるころ

G.W.も終わり,新学期気分も抜けてきた頃です。4月から張りつめていた緊張の糸が緩み始める子どもや,高かったモチベーションが慣れとともに下がり始める子どももいるでしょう。担任としては,それが「ダメだ!」というのではなく,「まあ,そういうもんだろうな」と構えておこうと思っています。4月の第2週には,そんなことを考えておたよりを書きました。


★以下 平成24年4月13日学級だより「5年2組学級だより(仮)」より★



5年2組がスタートして一週間が経ちました。

誰だってはじめは緊張するもの。

「田中先生ってどんな人なんやろ」

「怒ると怖いかな」

「どんな話し方をするのかな」

「宿題は多いかな」

などなど,担任に対する不安もひしひしと伝わってきました。
子どもたちにとって不安の材料はそれだけではありません。クラス替えで学級の顔ぶれも変わりました。新しい学年になったことで,周囲の期待もこれまでとは違うでしょう。それらすべてが,子どもたちにとっての成長のチャンスであると同時に,大きな不安でもあります。

小学校では高学年として何かと任されることの多い5年生ですが,考えてみればこの世に生まれてまだ11年。大きな環境変化に慣れないのも当然です。

そんなわけで,この一週間子どもたちはかなり「ハイ」な状態でした。「5年生になったんだから」という自覚と緊張とで,今まで以上にがんばっちゃった人も多かったのではないでしょうか。しかし「ハイ」な状態は決して長続きはしません。緊張が解け,5年生としての生活に慣れてくると,だんだん地金が表れてきます。

「これくらい力を抜いても先生は許してくれるだろう」

「そこそこがんばればいいだろう」

「誰かがやってくれるだろう」

 「ハイ」な一週間では隠れていた,子どもたちの地の部分が表に現れてからが,本当のスタートだと考えています。「地の部分」がダメだというのではありません。誰だって,人の見ていないところではちょっとサボりたくなってしまうし,面倒なことを人に任せてしまいたいと思うことがあります(モチロンワタシモアリマス…)。そんな自分の弱いところを恥ずかしがらずに認めたうえで,「でもここはがんばりどころ!」「少なくともこれだけはやっておこう!」と切り替えられる人であってほしいと思います。


★補足★


補足というほどではありませんが…。
G.W.明けのいま,子どもたちはまさに地金むき出しの状態です。4月当初の緊張した面持ちが懐かしく感じられますが,そんなことを言っても仕方ありません。歯を食いしばって指導にあたる毎日です。


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2012年5月5日土曜日

学級だよりのタイトルを考える

4月のことなので,もうひと月も前の話になってしまうのですが。

学級だよりのタイトルを考えるのって,けっこう好きです。一緒に学年を組むことになった先生と

「今年はこれでいこうと思います」

「『○○する』という意味の熟語ってないですかね?」

なんて言い合いながらこれから出会う子どもたちのことを考える時間は,短い春休みの楽しみのひとつです。

それだけに,悩む人も多いのでしょうね。
試しに「学級だより タイトル」でgoogle検索してみると,こんなサイトが出てきましたよ。ちょっと見ただけでも,「ああ,それっぽい…」と思うタイトルがゴロゴロしています(笑)。

多くの場合,学級だよりのタイトルは,クラスや子どもたちへの願いが込められているようです。私自身,「こんな子どもたちになってほしい」「こんなクラスを目指したい」との思いからタイトルを考えていました。

「ありました」と過去形にしたのは,私はここ何年か,学級だよりのタイトルを学級目標と同じにしているからです。学級目標はもともと子どもが自分たちで決めたものです(もちろん教師の願いや意図も多分に含まれていますが…)。それを学級だよりのタイトルに転用することで,学級目標がただのお題目で終わらずに,子どもたちの中に浸透した(ような気がした)んですね。昨年度の「すきやき」なんかは,その典型的な例です。



子どもたちは

「ぼく,最近発表できてるで。すきやきの『す』や」

「話を聞こうや,すきやきの『き』やん」

などと言いながら,ことあるごとに「すきやき」を思い出していました。
振り返ってみると,毎週金曜日に学級だよりを発行するとき

「先生,『すきやき』まだ配らないんですか?」

「はーい,今週の『すきやき』配りまーす」

なんて言っていたのがよかったのかも知れません。
逆に考えると,もしこれが教師の決めた学級だよりのタイトルだったら,これほど浸透しただろうかとも思うわけです。




たとえば「青空」という学級だよりがあったとして,そこにはたとえば「あの青い空のように,澄み切った心の持ち主に育ってほしい」という願いがあるのかもしれません。しかしそれは,子どもたちから出てきたものではなく,あくまで教師の願いです。
「こうなってほしい」という教師の願い,それは「もう5年生なんだから…」というあの”魔法の言葉”と大きく違わないのではないかと思うのです。
ようやく前回の記事につながりました。

教師の願いや思いを否定するわけではありません。教師として,大人として,子どもたちに「こうなってほしい」と願うのは当然です。しかしそれが,「5年生だから…」とか「もう10歳なんだから…」という「あるべき姿」に子どもたちを当てはめていくようなものであれば,なんだかちょっと違うなーと思うのです。
「澄み切った心の持ち主に…」と願うのは,あるべき姿に子どもたちを当てはめているのとは少し違うのかも知れません。しかし,本来であれば子どもたちと実際に会い,話をして,「澄み切った心の持ち主じゃないなあ」という発見があって初めて,「澄み切った心の持ち主に…」という教師の願いが生まれるのではないでしょうか。そういうことを抜きにして,子どもたちに実際に会う前に言っているのだとすれば,やはりちょっと傲慢な気がします。


…とまあ,こんなわけで4月当初の学級だよりが(仮)なんですね。


★補足★


ここまで書いてふと思いました。
本当に力のある先生なら,学級だよりのタイトルに転用なんかしなくても,学級目標を子どもたちに浸透させられるんだろうな,と。
そんな先生にとっては,学級だよりのタイトルなんてそんなに重要なことじゃないんだろうな,と。


…先は長いですね(笑)。



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