2012年6月5日火曜日

「こえをだす」

以前お伝えした学級目標「にこにこにくみ」について,どうしても保護者の方へお伝えしておきたいことがありました。


★以下 平成24年4月27日学級だより「にこにこにくみ」より★ 


先週から,この学級だよりの名前が変わりました。
「にこにこにくみ」は5年2組の学級目標です。多少強引な感じもありますが,子どもたちと話し合って決めた学級目標です。

「あきらめずに」「こつこつと」「なかまといっしょに」の3つは,子どもたちが「こんなクラスにしたい」と自分たちで思い描いた学級の姿を短くまとめて表現したものです。そこに,1つだけ私の願いを付け足しました。それが「こえをだす」です。


声を出すこと。
それはつまり「自分がどう思っているかを伝える」ということです。

一般的には「○○について考えたことを話してみよう」とか「○○についてどんな風に思いますか」という質問に対して,「自分はこう思っている」ということを指します。それはもちろんですが,私は「考えたけどよくわからなかった」「なんとなく,しか言えないけど…」というように「わからない」「途中まで考えた」ということも重要な「発言」だと考えています。

さらに子どもたちには,そういう色々な友だちの「発言」に対して
「自分もそう」
「なるほど」
「よくわからないんだけど…」
「聞こえないよ」
「自分とは違うな」
というように,反応することも重要な「発言」だよ,と言っています。
当然ですが,このような「声」を出そうとすると,まず人の話をきちんと聞いていなければできません。

大人でも,大勢の前で「わからないんだけど…」と声を出すのは勇気がいります。場の空気を読んで「わかったふり」をしてしまうこともあるでしょう。しかし学校の教室は,自分が学び,知ることに貪欲な空間であってほしいと思うのです。互いに信頼し合い「わからないよ,誰か教えて」「それってどういう意味?」と声に出す姿を,馬鹿にしたり笑ったりせずに尊重し合える“学び仲間”でいてほしい,そんな風に考えています。

ご家庭でもぜひ「『わからない』って言えてる?」「『もう1度言って』って声を出してる?」と聞いてみてくださいね。


★補足★


学校と言えば「手を挙げて発言する」とイメージする人が多いように,学校ではとりわけ「発言すること」が重要視されてきたように思います。

「○○のわかる人」
「ハイ! ハイハイハイ!」

というやりとりは,微笑ましい教室の原風景としてメディアなどにもたびたび登場します。
しかし,「教室では手を挙げて発言するものだ」というイメージと同じぐらい(あるいはそれ以上に)「わかった人が発言する」「よく発言する人は賢い」という”常識”が一般に浸透しています。
実はこのこと自体が,「たくさん発言する人」と「なかなか発言できない人」をつくりあげてしまう要因ではないかと思うのです。

発言とは「正しい答えを正しく話すこと」ではありません。「言葉を出すこと」です。
教師の質問に対して,「きっと先生はこういう答えを求めているんだな」と察した言葉だけが発言ではないのです。「先生,何を聞かれているかさっぱりわかりません」とか「たぶんこういうことなんだけどうまく言えません」というのも立派な発言です。
むしろ,30人以上も子どもがいれば,教師の質問に対してそういう発言がある方がよっぽど自然です。「何を聞かれているかわからない」と言った子どもは,質問をもう一度違う言葉で聞くことができるでしょう。「たぶんこういうことだろう…」と口に出した子どもは,発言が周囲に賛同されることで自信を得る場合もあるでしょう。

そんな機会を子どもたちから奪い,「わからないから黙っておこう」「自信がないから誰かに任せておこう」と思わせてしまっているのが,「わかった人が発言する」「よく発言する人は賢い」という ”常識” です。

そんな”常識”ヘンじゃないか。
誰だって自分が「わかった!」と言うために必要な発言をするべきじゃないか。

そんな思いで書きました。


「わかった人が発言する」「よく発言する人は賢い」という ”常識” についてはもう少し書きたいことがあるのですが,それはまた別の機会に。



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