2012年6月11日月曜日

ノートを隠す子ども

勉強している子どものノートを見ようとすると,さっと隠されてしまうことがあります。後から提出すれば見られるにも関わらず,です。
そこには,単に「恥ずかしい」というのとは少し違う子どもの気持ちがあるのでは,と考えています。


以下 平成24年5月12日学級だより「にこにこにくみ」より★


授業中,子どもたちに考えや感想,気づいたことなどをノートに書かせていると,ときどき,書いている端から筆箱や腕を使ってノートを隠そうとする人がいます。
図工などでは「完成してから驚かせたい」という気持ちから,まだ見ないでほしいと思って隠すこともありますが,ノートを隠す場合,それとは少し事情が違うようです。

腕をどかしてノートを見ると「ははあ,なるほど」と思うことがあります。子どもたちがノートを隠すのは,考えや感想などの書いた量が少なかったり,書いた内容に自信がなかったりする場合なんですね。つまり「こんなノートを見られたら,何か言われるんじゃないか」という不安があるから,見られないようにしているのでしょう。 

――「もっと書くことがあるでしょう」「よく考えてごらん」「しっかり思い出して」

子どもたちが「言われたくない」と思うのは,教師のこんな言葉でしょうか。私自身,思わず口をついて出てしまう言葉です。
しかし,考えてみれば,もっと書くことがあれば子どもは書いているはずです。
そもそも「どう書いていいかわからない」とか「何を書いていいかわからない」から筆が止まるわけです。それなのに「もっと書くことがあるでしょう」と言われたところで「え…(それがないから困ってるんだけど…)」と思うばかりですよね。 

はじめから完璧に自分の考えを書ける人はいません。
書いたものを教師や他の大人に添削してもらったり,書きながらアドバイスをもらったりして,考えや感想,気づいたことを上手く書けるようになるのが普通です。しかし,子どもが自分から抵抗なくノートを見せる(広げておく)ようになるためには,それまでの教師の声かけが重要です。先生に見せれば「なるほど,そう書けばいいのか」と思えるようなヒントがもらえるはずだ,という安心感があるからこそ,子どもは隠すことなくノートを広げて「教えて」のサインを送れるのだと思うのです。

子どもが私の前でノートを隠さず広げているかどうか。それは,私が子どもたちにとって安心して「教えて」と言える相手かどうかを示すバロメーターでもあるのです。

余談ですが,家庭訪問中,何人かの保護者の方から「宿題を見ているとつい口を出しちゃうんですよ…」と相談いただきました。
「『もっと丁寧に書いたら…』『もっとゆっくり読んで…』『この計算は前に習ったじゃない…』なんてことばかり言っていると,うちの子もイライラしちゃって…」という言葉を聞いて,ただただ頭が下がる思いでした。
本来であれば宿題は「学校で習ったことを自力で復習する場」のはずです。そこに何らかのつまづきがあるのなら,学校での学習が不十分だったと考えるのが当然です。そんな私の力不足をご家庭で補っていただくのはとてもありがたいです。しかし,それによって宿題を挟んだ親子の関係が互いにとって気持ちのいいものでなくなってしまうのであれば,やっぱりなんだか違うような気がするのです。
そんなときは,「うちの子,○○ができてるか心配で…」「先生,なんとかしてーな」と,遠慮なく担任までお寄せください。


★補足★


「余談」まで読むと,まるで「家で宿題を見てあげるときには,あんまり口やかましく言わないであげてね」とでも言いたいかのようにも読めてしまいますが,そんな意図は全くありません。

私だってもちろん,”丁寧でない”字を書く子どもや,なかなか筆の進まない子どもを目の前にすればつい口を出したくなります。それが自分の子どもならなおさらでしょう。もっとちゃんとやりなさいよ,と。

一方で,”ちゃんとやる”ってどうすりゃいいのさ?とか,書けと言われても何を書けばいいのかさっぱり…という子どもの気持ちもわかります。

だからこそ,少なくともプロの教師の端くれとして,「しっかり…」「ちゃんと…」「よく考えて…」と言うだけの”指導”はしたくない。子どもが出来ないでいることや困っていることを見定めて,それを解決できるような言葉がけができるようになりたい。そういう指導を続けることで,ノートを隠してしまう子どももいつか安心してノートを開いておけるようになるのではないだろうか。

そんな風に考えています。



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