2011年10月24日月曜日

通知票の思い出

…と言っても,「もらう側」の思い出ではなく,「書く側」としての思い出です。通知票を書きながらセンセイってこんなことを考えているんです,という裏話をおたよりに載せました。


★以下 平成23年10月7日学級だより「すきやき」より★


通知票のシーズンが近づき,成績をつけ始めるといつも思い出すことがあります。私が教師になりたての頃,初めて成績をつけたときの話です。前期が終わるにあたり,今回は私の思い出話にお付き合いください。

成績をつけるという仕事は,ある意味で「機械的」です。それまでに実施したテストや,授業中に記録した子どもたちの発言の様子,ノートなどから,教科ごと観点ごとに規準に沿って3段階に評価していくのです。その年,私は教師になって初めて成績をつけながら,先輩の先生と話をしていました。

「算数の○○のところ(観点),思ったより成績がよくないです。『あとすこし』の人がけっこういますね」

私が何となくそんなことをつぶやいたときです。それを聞いた先輩の先生が話してくださいました。一つずつの言葉は覚えていませんが,こんな話だったと記憶しています。

通知票の『あとすこし』に○をつけるたびにいつも思う。
この子に私はどんな指導をしてきたのだろう。
この子が『あとすこし』がんばるための手助けを,私はしてやれただろうか。
この子が『あとすこし』がんばるための手助けの仕方が,他にあったのではないだろうか。

私よりはるかに経験豊富な先生の言葉に私は驚きました。そして,ただ「機械的」に成績をつけていた自分を,なんて無責任で身勝手なやつだろうと思ったのです。

――眼の前の子どもたちは,ひとりで勉強しているのではない。私という教師のもとで,必死に学んでいるのだ。その子どもたちが目標まで『あとすこし』届かなかったのなら,それは私の責任ではないか。

そんな風に考えるようになりました。

★★★

今日,子どもたちに通知票を渡しました。
子どもたちには,「『できる』や『よくできる』がいくつあるかが大切なのではない。自分の『あとすこし』が何なのか,自分の『できる』が何なのかを知って,後期に何をがんばったらいいかを知ることが大切です」という話をしています。もちろん,『あとすこし』がんばってほしいことは,ひとりひとり違います。しかし,ひとりずつの『あとすこし』は,すべて私の『あとすこし』でもあります。後期,子どもたちが『あとすこし』がんばって目標を達成できるように,私も力を尽くしていきたいと思います。残り半年間,どうぞよろしくお願いします。
最後になりましたが,お忙しいなか三者懇談会にお越しいただきありがとうございました。子どもたちには,「前期にがんばったこと」「後期にがんばってほしいこと」をできるだけ簡潔にお伝えしたつもりですが,「うちの子,よくわかってないみたい」というときや,保護者の方がご覧になって不明な点があるときには,遠慮なく仰ってください。よろしくお願いします。




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