子どもたちはしょっちゅう喧嘩をします。まさに日常茶飯事です。お奉行さんじゃないけれど,先生ってどうやって仲裁しているの?というお話です。
ちなみに学級だよりでのタイトルは,「タナカ流喧嘩仲裁術 ~仲裁じゃないのよ本当は~」でした。
ちなみに学級だよりでのタイトルは,「タナカ流喧嘩仲裁術 ~仲裁じゃないのよ本当は~」でした。
★以下 平成23年7月15日学級だより「すきやき」より★
そこでタナカ先生の出番です。保護者の方には「先生って勉強だけじゃなく,喧嘩の仲裁もしなくちゃいけないなんて大変ね」なんて言っていただいております。ところが私,仲裁なんてしているつもりはないのです。
当事者から順番に話を聞いて冷静に判断したのち,「○○さんが悪い。□□さんに謝りなさい」と言い渡すのが喧嘩の仲裁。でもそれってちょっとヘンだなと私は思うのです。そもそも,人と人がぶつかるときに,そんなにキレイに「正しい人」と「間違っている人」が分かれているわけではありません。どちらも「自分が正しい」と信じているからぶつかるのです。ところがその「正しさ(自分の主張)」を,うまく話したり聞いたりできないから,互いに納得できないのだと考えています。
そう考えると,私の仕事はただひとつ。双方が「冷静に」「話して」「聞ける」ように,主張の「交通整理」をすることです。「代弁」ではなく,あくまで「整理」です(ここがポイント)。だから,子ども同士の話し合いの最中,私のセリフはもっぱら
「…だって」
「…だそうだけど?」
「…って言ってるよ」。
「…だって」
「…だそうだけど?」
「…って言ってるよ」。
こうやって聞き手の反応を促しながら,「今は○○が話す」「次は□□がそれに応える」という時間を整理しています。お気づきかもしれませんが,ものすごく時間のかかるやり取りです。自分の主張に自信がなくなってくると,急に声が小さくなる人もいます。そうなると,聞き手の反応は当然「聞こえないのでもう一度言ってください」です。
こんな面倒な「喧嘩仲裁術」の目的はただひとつ。
「いつかは自分たちで解決できるように」です。
今はまだ何かを話すたびに私の顔を見る子どもたちですが,いつの日か「先生は黙っといて!」と言われることを目指して,日々がんばり(?)ます。
はじめに,「お奉行さんじゃないけれど」と書きましたが,子どもたちのトラブルに出会ったときの私はいつもそんな心境です。子どもたちから,色々なトラブルが寄せられるたびに,「ふんふん」と双方の言い分を聞いたのちに
「はい,それは○○が悪い。謝りなさい」
「はい,それは□□が悪い。気持ちも分かるがしかし謝りなさい」
「はい,それはお互い様。互いに謝りなさい」
なんて「判決」を言い渡せたらどんなに楽だろうと思うのですが。それってやっぱり違いますよね。実際には,時間がなくてつい「いや,それはアンタが悪いやろ・・・」なんてことを口にしてしまうときもありますが,可能な限りこんな指導をしているんですよしようと思ってるんですよ!という気持ちを学級だよりに載せました。
★補足★
はじめに,「お奉行さんじゃないけれど」と書きましたが,子どもたちのトラブルに出会ったときの私はいつもそんな心境です。子どもたちから,色々なトラブルが寄せられるたびに,「ふんふん」と双方の言い分を聞いたのちに
「はい,それは○○が悪い。謝りなさい」
「はい,それは□□が悪い。気持ちも分かるがしかし謝りなさい」
「はい,それはお互い様。互いに謝りなさい」
なんて「判決」を言い渡せたらどんなに楽だろうと思うのですが。それってやっぱり違いますよね。実際には,時間がなくてつい「いや,それはアンタが悪いやろ・・・」なんてことを口にしてしまうときもありますが,可能な限りこんな指導を
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はじめまして。私も学校の先生です。
返信削除子ども達のけんかは本当にしょっちゅうですよね。
どうしたらこのトラブルが解決できるのかな、
と、当事者同士に考えさせると、以外に簡単に解決したりすることもあったりして、面白いです。
はじめまして。
返信削除austeacher様 コメントありがとうございます。
私みたいな仲介人がいなくても,自分たちだけで冷静に解決できるように指導する日々です。
…とは言うものの,一旦ヒートアップした言い争いをクールダウンするのは,大人同士でも至難の業ですよね。
「○○が悪い」「○○は正しい」という「正解」を求めるのではなく,互いに歩み寄って譲り合える関係を作れる人になってほしいと思います。