「時刻」と「時間」の違いを説明できますか。恥ずかしながら,私はこの仕事を始めるまで,「時刻」と「時間」をごっちゃにして考えていました。説明できなくても生活には困らないのですが,子どもに教える立場としてはそういうわけにはいきません。今回は,3年生で学習する「時間」についてのお話について,学級だよりに載せた内容です。
算数ではここのところ「時間と長さ」の学習をしています。大人の感覚ですと,「小学校3年生でいまさら時間??」と思ってしまうかもしれませんがなかなかこれがヤヤコシイのです。今回はそんな「時間」の学習についてのお話です。
★以下 平成23年9月9日学級だより「すきやき」より★
算数ではここのところ「時間と長さ」の学習をしています。大人の感覚ですと,「小学校3年生でいまさら時間??」と思ってしまうかもしれませんがなかなかこれがヤヤコシイのです。今回はそんな「時間」の学習についてのお話です。
まず,一口に「時間」と言っても,学校では少し神経質に言葉を使い分けています。それが「時こく(時刻)」と「時間」です。簡単に説明すると
・午後5時30分に待ち合わせをする。(時刻)
・3分でインスタントラーメンができあがる。(時間)
この違いが,時刻と時間の違いです。時間の学習の難しさのひとつは,この言葉の定義の難しさです。たとえば
午前10時40分にお店に着いて,お店を出たのは午前11時5分でした。買い物をしていた時間を答えなさい。
と聞かれたときに,「ん??なにを答えたらいいんだ?」というところで混乱してしまうことがあるのです。
もうひとつの難しさは,「時刻」も「時間」も目に見えないということです。たとえば
45個の飴があります。25個あげました。残りの飴はいくつでしょう。
これなら45-25=20とすぐに答えられる人も
図書室に行って25分間本を読み,10時45分に出ました。図書室に入った時刻は何時何分でしょう。
こうなると少し悩んでしまいます。手元に針時計があればイメージしやすくなる人も多いようです。
三つめの壁は,「1時間を60分とする考え方」です。これも大人の感覚ですと「いや,そんなん当たり前やん」と思ってしまいがちなのですが,よくよく考えてみると不思議なものです。たとえば
午後2時35分に美容院に着きました。髪を切るのに45分かかりました。美容院を出たのは何時何分でしょう。
これを,「3時20分」と正しく答えるためには,
・2時35分にあと25分で3時ちょうど 45-25=20(分) 3時+20分=3時20分
・時計の針を「5,10,15…」と5分ずつ動かして考える。
こういう風に考える人が多いでしょうか。いずれにしても,2時台から3時台へ「繰り上がる」ところがわかりにくいわけです。
子どもたちと「時間」の学習をしていると,自分の力不足と同時に,「絶対的に学習時間がたりない!」と感じます。「時間」の学習は,1時間勉強して「わかった!」というものではありません。日々の生活の中で時計を見たり,時間を先読みしたり,逆算したりしながら少しずつ身に付いていくものだと思います。
ご家庭でも,ちょっとした時間に「ゲームをしていいのは1時間15分です。終わる時こくは?」とか「3時20分におやつです。あと何分ありますか。」というように,時間と時刻で遊んでみてくださいね。
学校ではいまこんな学習をしていますよ,ということを学級だよりに書くとき,私はよく子どもたちの様子も書き加えます。学習を楽しんでいる様子や,子どもたちの成長を書ければいちばんいいのですが,いつもというわけにはいきません。自分の力不足を痛感しますが,むしろそうでないときの方がずっと多いのです。そこで今回のように「子どもたちは○○で苦労しています」という書き方をすることが多くなります。
ところが今回の記事に限らず,以前の「14-8」ってどうやってます?でもそうなのですが,
という書き方は,とても無責任に感じることがあります。
乱暴に言うと「学校ではこうやって教えたけど,子どもたちはあまり理解できてない。だから家で教えてやってほしい」というふうに読める,ということです。
家で教えてもらうことはもちろんありがたいのですが,そういう家庭の助けがあることを前提に指導にあたるのはやっぱり違いますよね。なにより「学校では教えた。それがわからんのは子どもの責任だ。あとはよろしく」みたいな態度は,プロの教師として恥ずべきでしょう。
そんなことを考えながら学級だよりを書いているのですが,改めて読んでみると,やっぱり言葉が足りないのでは?と思うところもあります。ぜひご感想をお聞かせください。
しつこくすみません。
今回の記事の中ほどに
★補足★
学校ではいまこんな学習をしていますよ,ということを学級だよりに書くとき,私はよく子どもたちの様子も書き加えます。学習を楽しんでいる様子や,子どもたちの成長を書ければいちばんいいのですが,いつもというわけにはいきません。自分の力不足を痛感しますが,むしろそうでないときの方がずっと多いのです。そこで今回のように「子どもたちは○○で苦労しています」という書き方をすることが多くなります。
ところが今回の記事に限らず,以前の「14-8」ってどうやってます?でもそうなのですが,
「子どもたちは○○で苦労しています」
「前に学習した△△をすっかり忘れてしまっています」
↓
「ご家庭でぜひ□□してください」
という書き方は,とても無責任に感じることがあります。
乱暴に言うと「学校ではこうやって教えたけど,子どもたちはあまり理解できてない。だから家で教えてやってほしい」というふうに読める,ということです。
家で教えてもらうことはもちろんありがたいのですが,そういう家庭の助けがあることを前提に指導にあたるのはやっぱり違いますよね。なにより「学校では教えた。それがわからんのは子どもの責任だ。あとはよろしく」みたいな態度は,プロの教師として恥ずべきでしょう。
そんなことを考えながら学級だよりを書いているのですが,改めて読んでみると,やっぱり言葉が足りないのでは?と思うところもあります。ぜひご感想をお聞かせください。
★補足その2★
しつこくすみません。
今回の記事の中ほどに
もうひとつの難しさは,「時刻」も「時間」も目に見えないということです。たとえば
45個の飴があります。25個あげました。残りの飴はいくつでしょう。
これなら45-25=20とすぐに答えられる人も
図書室に行って25分間本を読み,10時45分に出ました。図書室に入った時刻は何時何分でしょう。
こうなると少し悩んでしまいます。手元に針時計があればイメージしやすくなる人も多いようです。
という部分があります。「45個の飴があります。25個あげました。残りの飴はいくつでしょう。」という問題は,「図書室に行って25分間本を読み,10時45分に出ました。図書室に入った時刻は何時何分でしょう。」という時間の問題と比較するために挙げた例題ですが,改めて読み返すと少し無理がありました。
「45個の飴があります。25個あげました。残りの飴はいくつでしょう。」という問題は,「45から25をひく」という順思考の問題なのに対し,「図書室に行って25分間本を読み,10時45分に出ました。図書室に入った時刻は何時何分でしょう。」という問題は,「ある数に25を足すと45になった」という逆思考の問題になっています。
つまり,この2つの問題は,「具体的なもの(飴)と抽象的なもの(時間)の比較」であると同時に,「順思考(45-25=20)と逆思考(25+x=45)の比較」にもなってしまっているということです。
時間の問題の難しさを伝えようとして,少し誇張しすぎた表現になってしまいました。
という部分があります。「45個の飴があります。25個あげました。残りの飴はいくつでしょう。」という問題は,「図書室に行って25分間本を読み,10時45分に出ました。図書室に入った時刻は何時何分でしょう。」という時間の問題と比較するために挙げた例題ですが,改めて読み返すと少し無理がありました。
「45個の飴があります。25個あげました。残りの飴はいくつでしょう。」という問題は,「45から25をひく」という順思考の問題なのに対し,「図書室に行って25分間本を読み,10時45分に出ました。図書室に入った時刻は何時何分でしょう。」という問題は,「ある数に25を足すと45になった」という逆思考の問題になっています。
つまり,この2つの問題は,「具体的なもの(飴)と抽象的なもの(時間)の比較」であると同時に,「順思考(45-25=20)と逆思考(25+x=45)の比較」にもなってしまっているということです。
時間の問題の難しさを伝えようとして,少し誇張しすぎた表現になってしまいました。
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