日曜参観の後のおたよりです。日曜参観には,普段の参観日とは違い,平日は来れない家族の人たちがたくさん見に来てくれます。この日,日曜参観の最中に,保護者の間にあるモノを回してもらいました。授業が終わってから,私の手元に戻ってきたそれは,壊れていました。
少しだけ怒りを込めて書いたおたよりです。
改めて読むと,オブラートに包んで書こうとするあまり意味がわかりにくくなっているので,末尾に補足してあります。
★以下 学級だより「すきやき」より★
日曜参観へのご参加,ありがとうございました。算数と図工の授業をご覧いただきました。当日はあいにくの雨でしたが,教室に入りきらないほど多くの方が来てくださいました。
さて,今日の題名「折れたチョークと日曜参観」。なんのこっちゃと思った方も多いことでしょう。
3年4組では,漢字の練習や算数の時間など,子どもたちが黒板に字を書くようにしています。(私なりに考えてのことですが,何のため?という話はまたの機会に)。
「チョークを折ってしまうことは誰にでもある『失敗』です。わざと折ったのでなければ,先生はそれを怒りもしないし,弁償しろとも言いません。でも,チョークを折ってしまった人が,そのことを『ごまかそう』としたり『隠そう』としたりするのは,卑怯です。自分の失敗をウソで隠そうとする姿って,とてもかっこ悪いです。みんなはどういう自分でいたいですか。」
それ以降,折れたチョークが黙って置いてあることは一度もありません。それだけでなく,何かを壊してしまった人は,神妙な面持ちで「先生,○○を壊してしまいました」と言いに来ます。
「物を大切にすることを教えなくていいのか」という意見もあるかも知れません。確かにそうですが,私はそれよりも「自分の失敗を素直に認める」「人にウソをつかない」ことの方がもっと大切だと思います。
「なんか壊れてたんだって」
「そうか,仕方ないね」
その子は壊れたカードをただ預かってきただけでした。
壊してしまった人を責めたいわけではありません。たくさんの人が手に取る中で,いつの間にか壊れてしまったのかも知れません。小さい子が誤って壊してしまったのかも知れません。ただ,最後まで「先生,○○を壊してしまいました」が聞けなかったことが,残念でした。
子どもたちはというと,先日の参観日とはまた異なり,発言や反応に妙に慎重になって黙ってしまう人たちが多かったように思います。
「せっかく来てくれた家の人にいいところを見せたい!」という気持ちのあらわれでしょうが,担任としては「いつもの姿はどこに…」と焦ってしまう参観日でした。
さて,今日の題名「折れたチョークと日曜参観」。なんのこっちゃと思った方も多いことでしょう。
3年4組では,漢字の練習や算数の時間など,子どもたちが黒板に字を書くようにしています。(私なりに考えてのことですが,何のため?という話はまたの機会に)。
ところが,たくさんの人が黒板の周りに集まって字を書いたり掃除をしたりしていると,必ずと言っていいほどチョークが折れます。力の入れ具合で折れることもありますが,折れる原因ナンバーワンは何といっても「落とす」です。
学級が始まって間もない頃,掃除が終わった教室でふと黒板を見ると,折れたチョークがチョーク置きの上に置かれていました。それをみんなに見せてから,次のような話をしました。
「チョークを折ってしまうことは誰にでもある『失敗』です。わざと折ったのでなければ,先生はそれを怒りもしないし,弁償しろとも言いません。でも,チョークを折ってしまった人が,そのことを『ごまかそう』としたり『隠そう』としたりするのは,卑怯です。自分の失敗をウソで隠そうとする姿って,とてもかっこ悪いです。みんなはどういう自分でいたいですか。」
それ以降,折れたチョークが黙って置いてあることは一度もありません。それだけでなく,何かを壊してしまった人は,神妙な面持ちで「先生,○○を壊してしまいました」と言いに来ます。
私の返事はいつも同じ。
「はいわかりました」
「仕方ないね」
「次は気をつけて」
これだけです。
「物を大切にすることを教えなくていいのか」という意見もあるかも知れません。確かにそうですが,私はそれよりも「自分の失敗を素直に認める」「人にウソをつかない」ことの方がもっと大切だと思います。
「ものを大切にしろ」と怒られるのがイヤで壊したことをごまかしてしまうのなら,順序が逆ではないかと思うのです。
日曜参観の当日,図工の授業中に保護者の方に,こんな物を見ていただきました。
授業で子どもたちが作った「変身カード」よりももう少し難しい「飛び出すカード」です。授業が終わってから,ひとりの子どもがそのカードを持ってきて言いました。
「なんか壊れてたんだって」
「そうか,仕方ないね」
その子は壊れたカードをただ預かってきただけでした。
壊してしまった人を責めたいわけではありません。たくさんの人が手に取る中で,いつの間にか壊れてしまったのかも知れません。小さい子が誤って壊してしまったのかも知れません。ただ,最後まで「先生,○○を壊してしまいました」が聞けなかったことが,残念でした。
★以下 補足です★
最後のあたりがわかりにくいので補足説明します。
「飛び出すカード」が保護者の間を回っている間に壊れてしまったにもかかわらず,誰一人として,「先生,これ壊れてしまったわあ」とか「先生ごめんなあ,ウチの子が壊してしまったみたいやわ」というようなことを言う保護者がいなかった,ということです。
もし,このときたった一言「先生ごめんな,壊してしまったみたいや」と言う保護者がいたら。その姿を,子どもが見ていたら。(往々にして子どもは大人の姿を見ているものです。)「ウソをついたらあかんで」と100回説教するよりもはるかに,子どもにとって意味のある瞬間になったと思うのです。
目の前の子どもたちにとって,それほど大きな「学びのチャンス」をこともあろうに保護者によって潰されてしまったこと。その無念さを何とか伝えたくて,最後の一文を書きました。
今思えば,もっと伝わる書きようがありますね。自分の拙さを痛感します。
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チョークのはなしにせず 直接
返信削除「カードが壊れている、これを作った人の気持ちを考えて欲しい!」と 言われても良かったかな?
ありがとうございます。
返信削除そうですよね,そう書けばすごくシンプルで伝わりやすい内容になったのだと思います。ただ,私の意図としては,カードを壊してしまった人に反省を促したいというよりも,「『正直な人』の姿を大人が見せましょうよ」ということを伝えたかったのです。そのために,「普段から子どもにこう話しているんですよ」という意味でチョークの話を入れたのですが,それがかえってややこしくしていますね。
わかりやすく書くって難しいです。
そうですよね。これも訓練、回を重ねると勉強になります。先生は天職です、頑張りましょう。
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