2012年3月15日木曜日

続・先生なんていなくても

学級だよりで「来週に続く」なんて,そんなんアリか?とも思ったのですが…。お付き合いください。


★以下 平成24年2月17日学級だより「すきやき」より★ 


「4年生になっても田中先生がいいなあ」


この時期になると,こんな嬉しいことを言ってくれる子どもがいます。そんなときは私もつい頬が緩んで「そうやねえ。同じだといいねえ」と答えています。

この1年間(…まだ終わっていませんが),子どもたちは大きく成長しました。授業中に手を挙げて発表できるようになった人,友だちとのトラブルを自分で解決できるようになった人,「わからない」と言えるようになった人,宿題を忘れなくなった人,漢字をとても丁寧に書けるようになった人。
そんな成長を「田中先生のおかげで…」と言ってもらえるのであれば,教師としてこんなに嬉しいことはありません。

そんなことを考えているとき,「先生がいないときにこそ,本当の力が試されるんやで」という先週の言葉が私の耳に重く響きます。それは,子どもたちの成長が本当に子どもたちのものになっているか,ということです。


たとえば「田中先生はシールをくれるから」という理由だけで漢字を丁寧に書き続けてきた人は,シールをもらえなくなったらどういう字を書くでしょうか。「互いが納得するまで話し合わないと田中先生に叱られるから」という理由だけで友だちとのトラブルを解決してきた人は,叱られなくなったら話し合うことをやめてしまうかもしれません。
もちろん,授業中に手を挙げて発表できるようになったきっかけが「田中先生が挙げろというから」でも構いません。宿題を忘れなくなったきっかけが「忘れたら田中先生に怒られるから」でも構いません。しかし,いつまでもそのままではいけないなと思うのです。

「田中先生に怒られるから〇〇する(しない)」の次なるステップは「自分はその方がいいと思うから〇〇する(しない)」です。教育用語では前者を「外発的動機」,後者を「内発的動機」と言います。「外からの力」を動機として行動するのか,「内からの力」を動機として行動するのかの違いです。

難しいのは,どちらの場合も見た目の行動は同じであるということです。
「先生が怖いから」落ち着いて勉強しているのと,「自分がそうしたいから」落ち着いて勉強しているのは,見た目にはほとんど変わりません。その差がはっきりするのは,先生がいなくなったときです(ようやく先週の話につながりました)。
先週書いた自習の日は「先生がいなくなる日」に過ぎません。しかし学年末は「この先ずっと先生がいなくなる」のです。4月になれば,それまでの成長が本当に子どもたちのものになっているかが試され,はっきりと目に見える結果となるのです。

誰の前ででも,どんな仲間の中ででも,自分の力を精一杯伸ばし成長しようとする。そんな人になってほしいと考えて今日まで指導してきました。残り一か月,少しでも多くのことを「内発的動機」でできるようにしていきたいと思います。


先生がいないときにこそ,本当の力が試されるんやで――つくづく重い言葉です。





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